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魔女の宅急便
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監督 宮崎駿
脚本 宮崎駿
製作 徳間康快徳間書店
都築幹彦ヤマト運輸
高木盛久日本テレビ
出演者 高山みなみ
佐久間レイ
戸田恵子
山口勝平
加藤治子
音楽 久石譲
撮影 杉村重郎
編集 瀬山武司
配給 東映
公開 テンプレート:Jdate
上映時間 102分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
allcinema
AllRovi
IMDb
  

魔女の宅急便』(まじょのたっきゅうびん、Kiki's Delivery Service)は、スタジオジブリ制作の日本の長編アニメーション作品である。アニメーション映画として1989年7月29日から東映系で公開された。

原作は角野栄子の児童書(児童文学)『魔女の宅急便(第1巻)』。監督は宮崎駿


概要[]

宮崎駿が監督を務めたスタジオジブリの長編映画としては史上初の他者原作作品であり、宮崎が『ハウルの動く城』の監督に就くまで15年間にわたって唯一の他者原作作品であった。

これまでジブリを支えてきた徳間書店に加え、ヤマト運輸、日本テレビがスポンサーに付き、テレビCMなど広告宣伝面にも力が入れられた結果、配給収入21.5億円と前作『となりのトトロ』の3倍以上を記録した。主題歌には荒井由実の楽曲を採用した。

また、1978年公開の『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち』の記録を抜いて日本の劇場用アニメ映画の興行記録を更新した。英語版作品名は"Kiki's Delivery Service"。

日本テレビで2年に1回ほどの割合で『金曜ロードショー』で放映されている。

タイトルがテンプレート:要出典範囲その原因は原作者の角野栄子が第1作刊行時に宅急便はヤマト運輸の登録商標である事を知らなかったためである。映画化に至って、1989年夏の映画公開告知ではヤマト運輸の企業広告と組み合わせたCMも制作された(BGMは久石譲の『海の見える街』)。なお同映画をもとにした登録商標をスタジオジブリが取得している[1]

あらすじ[]

魔女の娘は13歳になると家を出て、よその町で一年修行するという掟があった。13歳になった魔女の娘・キキは、掟にならい黒猫・ジジと共にコリコの街に降り立った。パン屋の女主人に気に入られ、店先を借りて宅急便を開業することにしたキキ。そこには新しい生活と喜び、失敗と挫折、人力飛行機に熱中する少年トンボとの出会いが待っていた。

主な登場人物[]

キキ
13歳になり魔女の掟である独り立ちの日を迎えた活発な女の子。飛ぶことだけが魔女としての唯一の取り柄。おソノの店で「魔女の宅急便」を開業し、様々な経験を通じて成長していく。原作ではロングヘアーであったが、こちらはショートヘアー。
ジジ
キキの相棒の黒猫。ちょっぴり生意気でいじわるな性格。喋れる猫というわけではなく、キキが魔法の力でジジと会話をしている。原作によると、魔女の家に女の子が生まれると同じ月日に生まれた猫を探し、大切なパートナーとして共に育てるという風習がある。映画版では後半からキキの魔法の力が弱まって会話が不可能になる(原作では最後まで可能)。
おソノ
キキの居候先のパン屋のおかみさん。恰幅がよく親切。ふとした偶然からキキと出会い、彼女を気に入ってパン屋の屋根裏部屋に住まわせた。妊婦でありお腹が大きく、最後に出産する。
トンボ(コポリ)
空に憧れ、飛行クラブに所属する丸メガネの少年。「トンボ」は愛称で、本名はコポリ。キキが空を飛んでいる場面を偶然見かけ、興味深げに声をかける。最初はキキに煙たがられていたが、徐々に親しくなる。ちなみに彼の所属する飛行クラブは人力飛行機作りを研究しているが、原作では非科学的な手段で空を飛ぶ方法を研究している(空飛ぶ絨毯、空飛ぶほうきなど)。また原作は平仮名標記で「とんぼ」である。
おソノの夫(フクオ)
無口で寡黙だが心優しいパン職人。パン作りを覗き込むジジにウィンクするなどお茶目な部分も持っている。原作ではフクオという名前がある。劇中の声の出演は極端に少ない(息遣いの時に発する程度)。
ウルスラ
森の中の小屋で絵を描くことに没頭する画家の少女。19歳。彼女がキキと出会うエピソードは原作と同じだが、映画では落ち込んだキキを元気付けるなど役どころも増えている。またウルスラという名前は公式設定であるが、劇中では1度も名前で呼ばれておらず、エンディングテロップでも声優の名前のみがクレジットされているため、作中から「ウルスラ」の名を探し出すことは出来ない。当作で公式に名前を持ちながらも名前が一切明かされないのはウルスラとフクオ(おソノの夫)の2人だけである。
オキノ
キキの父親。あっさりとした性格。原作では魔女や妖精の研究をする民俗学者。愛娘であるキキを優しく送り出す。「オキノ」は苗字ではなく、名前である。一部の視聴者からは、その外見と名前から日本人ではないかと誤解されているが、日本人ではない。
コキリ
キキの母親で彼女もまた魔女。魔女としての力は優れているものの、「空を飛ぶ魔法」と「薬草から薬を作る魔法」しか使えない。時代とともに扱える魔法の数が減っているせいであり、キキの代になって更に1つ魔法が減ってしまうことを嘆いている。劇中で名前を呼ばれる事はなく、自宅前の案内に「魔女にご用の方は ベルを鳴らしてください コキリ」と書かれているのみである。

制作の経緯[]

1985年12月、映画プロダクション風土舎角野栄子の児童文学『魔女の宅急便』の長編アニメーション化の企画を立ち上げた。「宅急便」がヤマト運輸登録商標であったことから、真っ先に同社にスポンサーを要請した。当初ヤマト運輸は難色を示したが、同社のトレードマークである黒猫が偶然にも物語に登場することから次第に前向きになりスポンサーになることを了承した[2]

1987年春ごろ、風土舎とヤマト運輸は電通を通じて徳間書店に協力を申し込み本作はスタジオジブリで制作されることとなった。

風土舎は、「監督またはプロデューサーに宮崎駿か高畑勲を」と意向を示した。『となりのトトロ』『火垂るの墓』の制作を開始したばかりでもあり当初監督は有望な若手を起用することとし、宮崎はプロデューサーのみを請けることになった。しかし実際には宮崎が脚本と絵コンテも担当することになり、制作が進むうちに当初の70〜80分の構想が100分を越える本格的長編となってしまった。監督は片渕須直を起用することになっていたが、スポンサー企業の意向をうけて降板[3]。結局、宮崎が監督も務めることになった。

長編アニメーション映画としては制作期間が短く、作画が困難な群集シーンも後半に多くスタッフは非常に苦慮した。音楽監督を高畑が受け持ったのも、宮崎に余裕がなくなったためである。さらに作曲者である久石譲も自身のアルバム制作とスケジュールが重なり、作曲打ち合わせから演奏録音までが公開間際になるという状態だった。

原作をかなり自由に脚色し背景にはスタッフがロケハンしたスウェーデンストックホルム及びゴットランド島ヴィスビュー、宮崎自身が1988年5月に個人的に旅行したアイルランド、その他サンフランシスコリスボンパリナポリなどの風景を織り交ぜて使っている[4]。街の名前は、劇場公開時のパンフレットによれば原作のまま「コリコ」の街とされている。この街では白黒テレビが普及している一方でボンネットバスや大きな飛行船が使われているなど、現代ではなく過去の時代を舞台にしているものとみられる(宮崎によれば「第二次世界大戦を経験しなかったヨーロッパ」という設定)。ちなみにストックホルムとヴィスビューは宮崎がAプロダクション(シンエイ動画)時代の1971年に幻の映画企画『長くつ下のピッピ』のロケハンで訪れた場所でもある。

角野との関係[]

原作者の角野は映画化に際し、当初は唯一の注文として「キキが旅立つ時にキキの故郷の木に付けられていたを鳴らすこと」のみを求めていた。その後制作が進むに連れ内容が大きく変わることに否定的になったが、宮崎と角野が数回対談し解決した[2]

声の出演[]

キキとウルスラの主役級の2人を当時声優3年目の高山みなみが1人で担当している。高山は元々はウルスラ役のみ演じる予定だったがキキ役に適任者がいなかった為、オーディションを受けた上でキキ役に選ばれたが今度はウルスラ役に適任者がいなくなりキキとウルスラの一人二役を演じる事になった。

英語版は2種類存在する。日本盤DVDには日本語オリジナル音声とディズニー版音声が収録されている。

キャラクター 日本語版 英語版(ディズニー版) 英語版(ストリームライン版)
キキ 高山みなみ キルスティン・ダンスト リサ・マイケルソン
ウルスラ ジャニーン・ガラファロ ヨランダ・マテオス
ジジ 佐久間レイ フィル・ハートマン ケリガン・メイハン
おソノ 戸田恵子 トレス・マクニール アレクサンドラ・ケンウォーシー
トンボ(コポリ) 山口勝平 マシュー・ローレンス エディ・フライアーソン
コキリ 信沢三恵子 キャス・スーシー バーバラ・グッドソン
老婦人 加藤治子 デビー・レイノルズ メラニー・マックィーン
バーサ 関弘子 エディ・マックラーグ エディ・マーマン
オキノ 三浦浩一 ジェフ・ベネット ジョン・ダントナ
フクオ 山寺宏一 ? グレゴリー・スニーゴフ
マキ 井上喜久子 ?
ケット 渕崎ゆり子 パメラ・シーガル ララ・コーディー
ケットの母 土井美加 ジュリア・フレッチャー ダイアナ・ミッシェル
ケットの父 土師孝也 ?
ケットの祖母 浅井淑子 ジュリア・フレッチャー マイク・レイノルズ
ドーラ 斎藤昌 ? ダイアン・ミッチェル
時計塔の番人 西村知道 グレゴリー・スニーゴフ
先輩魔女 小林優子 デビ・デリベリー ウェンディー・リー
トラックの運転手 池水通洋 ?
ホテルのフロント係 辻親八 マット・K・ミラー ダグ・ストーン
飛行船「自由の冒険」号の船長 大塚明夫 ジョン・ホステッター デイヴ・マロウ
赤ん坊 坂本千夏 ?
警官 山寺宏一 マット・K・ミラー スティーブ・クレイマー
アナウンサー コーリー・バートン カール・メイセック
デッキブラシを持っていたおじさん 田口昂 ? スティーブ・クレイマー
パイを届けられる少女(老婦人の孫娘) 鍵本景子 ジュリー・リン ウェンディー・リー
パイを届けられる少女の仲間 津賀有子
亀井芳子
? ?
キキが町に降りたったとき話すおばさん 丸山裕子 メラニー・マックイーン
「ナンパかよ」とトンボに話しかける少年 ?

スタッフ[]

  • 製作:徳間康快、都築幹彦、高木盛久
  • 企画:山下辰巳、尾形英夫、瀬藤祝
  • 原作:角野栄子
  • 絵コンテ:宮崎駿、近藤喜文
  • 音楽:久石譲
  • 音楽演出:高畑勲
  • キャラクターデザイン:近藤勝也
  • 作画監督:大塚伸治、近藤勝也、近藤喜文
  • 原画:金田伊功、二木真希子、篠原征子、遠藤正明(アニメーター)|遠藤正明、河口俊夫、大谷敦子、賀川愛福島敦子井上俊之、森友典子、森本晃司佐藤好春、保田夏代、杉野左秩子、渡辺浩、山川浩臣、羽根章悦、浦谷千恵、関野昌弘、新留俊哉、長谷川明子
  • 美術監督:大野広司
  • 背景:男鹿和雄
  • 挿入画:「虹の上を飛ぶ船」八戸市立湊中学校養護学級共同作品より
  • 色彩設計:保田道世
  • 音響制作:オムニバスプロモーション
  • 録音演出:浅梨なおこ
  • 編集:瀬山武司
  • 演出補:片渕須直
  • 制作担当:田中栄子
  • 制作デスク:川端俊之、木原浩勝
  • キャスティング協力:江崎プロダクション
  • 協力:電通
  • エグゼクティブプロデューサー:尾形英夫漆戸靖治原徹
  • プロデューサー:鈴木敏夫
  • 監督・脚本・製作プロデューサー:宮崎駿

英語版スタッフ[]

  • ストリームライン版
    • 演出・台本:グレッグ・スネゴフ
    • 制作:ストリームライン・ピクチャーズ
  • ディズニー版
    • 演出・キャスティング:ジャック・フレッチャー
    • 製作・配給:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

主題歌[]

主題歌にはユーミンこと荒井由実が歌う既存の楽曲「ルージュの伝言」(オープニング、アルバム「COBALT HOUR」に収録)と「やさしさに包まれたなら」(エンディング)が採用され、映画公開当時リバイバルヒットとなった。主題歌を決定する際、プロデューサーを務める鈴木敏夫が会議直前に行った松任谷由実のコンサートに触発を受け荒井の採用を監督の宮崎駿に提案した。もともと宮崎は若い頃に荒井の楽曲を聴いていたため、それがこの時の採用につながった、と鈴木は発言している。当初は同じ荒井でも「ルージュの伝言」の他に「中央フリーウェイ」も候補に挙がっていたが、東京都下の具体的な地名が歌詞に入っているために取りやめたという。

尚、「やさしさに包まれたなら」はシングルとアルバムでアレンジが異なり本作で使用されたバージョンは荒井のセカンドアルバムである「MISSLIM」、近年のバラードベストアルバム「sweet,bitter sweet〜YUMING BALLAD BEST」に収録されている。

英語版の主題歌は日本版と異なり、別の英語の歌が用いられている。

オープニングテーマ[]

エンディングテーマ[]

イメージソング[]

  • 「めぐる季節」 作詞:吉元由美、作曲・編曲:久石譲、歌:井上あずみ
  • 「わたしのこころ」 作詞:角野栄子、作曲・編曲:久石譲、歌:井上あずみ・MAI & YUMIKO-Chan
  • 「想い出がかけぬけてゆく」 作詞:風堂美紀、作曲・編曲:久石譲、歌:井上あずみ
  • 「あこがれのまち」 作詞:角野栄子、作曲・編曲:久石譲、歌:MAI & YUMIKO-Chan
  • 「鳥になった私」 作詞:麻生圭子、作曲・編曲:久石譲、歌:宝野ありか
  • 「好きなのに!」 作詞:麻生圭子、作曲・編曲:久石譲、歌:宝野ありか
  • 「黄昏の迷い子たち」 作詞:吉元由美、作曲・編曲:久石譲、歌:宝野ありか
  • 「何かをさがして」 作詞:風堂美紀、作曲・編曲:久石譲、歌:井上あずみ
  • 「魔法のぬくもり」 作詞:麻生圭子、作曲・編曲・コーラス:久石譲、歌:井上あずみ

賞歴[]

  • 第13回日本アカデミー賞・話題賞
  • 第44回毎日映画コンクール・アニメーション映画賞
  • 第7回ゴールデングロス賞・マネーメイキング監督賞・予告編コンクール賞
  • エランドール賞特別賞
  • キネマ旬報・読者選出日本映画1位・読者選出日本映画監督賞
  • 全国映連賞・作品賞・日本映画監督賞
  • 文化庁優秀映画製作奨励金交付作品
  • 米国のENTERTAINMENT・WEEKLY誌の度ベストビデオ部門第1位に選出。

売上記録[]

(日本国内)

内容 記録 補足
興行収入 約43億円[5] 推測
配給収入 21.7億円[5]
動員 264万619人[5]
『イメージアルバム』 4万本出荷(1989年発売のCA)[6]
7.5万枚出荷(1989年発売のCD)[6]
1万枚出荷(1996年発売の再発CD)[6]
0.5万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[6]
『サントラ音楽集』 0.5万枚出荷(1989年発売のLP)[6]
10万本出荷(1989年発売のCA)[6]
24万枚出荷(1989年発売のCD)[6]
6万枚出荷(1996年発売の再発CD)[6]
1万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[6]
『ドラマ編』 1.5万本出荷(1989年発売のCA)[6]
3万枚出荷(1989年発売のCD)[6]
0.5万枚(1996年発売の再発CD)[6]
『ヴォーカルアルバム』 2万本出荷(1989年発売のCA)[6]
6万枚出荷(1989年発売のCD)[6]
1万枚出荷(1996年発売の再発CD)[6]
0.5万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[6]
『ハイテックシリーズ』 1.5万本出荷(1989年発売のCA)[6]
4万枚出荷(1989年発売のCD)[6]
0.5万枚出荷(1996年発売の再発CD)[6]
0.5万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[6]
『ヴォーカル編&カラオケ』 0.5万本出荷(1990年発売のCA)[6]
1万枚出荷(1990年発売のCD)[6]
1万枚出荷(1996年発売の再発CD)[6]
イメージソング『めぐる季節』 1万本出荷(1990年発売のシングルCA)[6]
1.5万枚出荷(1990年発売のシングルCD)[6]
VHS・ベータ(徳間版) 15万本出荷[7] 1995年9月時点
VHS(ブエナビスタ版) 100万本出荷[7] 2003年6月現在
DVD(ブエナビスタ版、2枚組・特典付) 30万枚出荷[7] 2003年6月現在

テレビ放送の視聴率[]

放送日 視聴率
1990年10月5日(金) 24.4%
1992年4月3日(金) 21.5%
1995年7月14日(金) 19.2%
1997年7月11日(金) 21.6%
1999年7月16日(金) 19.4%
2001年7月6日(金) 20.0%
2003年7月25日(金) 22.8%
2005年9月16日(金) 14.7%
2007年7月13日(金) 14.9%
2009年7月31日(金) 13.7%
2011年7月8日(金) 13.5%

協賛[]

ヤマト運輸
1988年3月20日の「制作発表記者会見」では角野、宮崎らとともに徳間書店、ヤマト運輸の両社長も席を並べた。ヤマト運輸は全国の営業所・取扱店にチラシ・ポスター・割引鑑賞券をおきグッズプレゼントなどのPRを行い、1989年7月 - 12月にはテレビCMや雑誌・新聞広告で大規模なキャンペーンを実施。また、キャラクターを印刷したダンボール箱やビニール袋を配布した[2]
同社のトレードマークのクロネコは子連れであるが、ジジもエンディングでは子連れ(黒猫)でほうきに乗っていた。
また『耳をすませば』にて、月島がコンクリートロードの歌詞カードを学校に忘れたのを気づき取りに戻るシーンで「宅急便」のトラックが走っている。

補足[]

  • 映画公開時のキャッチコピーは、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」(糸井重里
  • ウルスラの描く巨大な油絵として、青森県の八戸市立湊中学校養護学級の共同作品『虹の上をとぶ船』が一部加筆の上使われている。木版画の指導は坂本小九郎[8]による。
  • 主人公キキのモデルとして宮崎がヒントを得たのは、当時ちょうど13歳だった鈴木の娘とされている[9]
  • キキの髪型については当初原作のイメージを重視しロングヘアーであったが作画が難しいという事で様々な髪型が試され、最終的にはショートヘアーとなった(初期イメージボード等では髪を2つに分けていたり、三つ編み等もあったほか金髪もあった)。
  • 英語版エンディングでジジ役のフィル・ハートマンに対する追悼シーンが存在する。
  • 映画のラストシーンでキキが両親に送った手紙が画面に現れるが、その中の「友達」の「達」の字の横棒が一本少ない。
  • おソノは映画の製作当時、スタッフの中で「歳の割にはしっかりしているから、昔は色々あったに違いない。もしかしたら暴走族だったのでは?」という話がありエンディングではバイクに乗せるという案もあった。この案は実現しなかったが、映画のパンフレット等のおソノの紹介欄に「青春時代、それなりにツッパった経験を持つ」などと書かれた物がある。
  • 初めてキキが"お届けもの"をするシーンでは、おしゃぶりを届けた証明とお礼にサインを渡され、劇場公開当初にはここに実際に手帳にサインを書いている手元アップの短シーンが挿入されていたが、書かれるサインの線と書く手の動きのアニメーションは多少不自然なものだった。その後このシーンはカットされている。尚カット後もシーン周辺のストーリーの整合性は保たれている。
  • キキの実家の玄関横に打ち付けてある看板の文面、フクオが作った届け物受付の飾りの文面、キキが両親に宛てて送った手紙の文面は全て日本語で記載されているがこれは何と記載されているのかを視聴者に理解させる為に日本語で記載されているだけであり、作中においては舞台となる当該国語で記載されているという設定である。
  • ドーラ、もしくは「ドーラ婆さん」とされる人物は、本作中ではキキの母コキリにリウマチに効く魔法の薬を作ってもらう老女として登場する(#声の出演も参照)。また「マキ」は、ファッションデザイナーで白猫リリーの飼い主(キキにとって初めて金銭を受け取って仕事をする客となる女性)。これらの人物名は前述のウルスラとは異なり、劇中での会話中に名前が登場する(ドーラの名前はキキがドーラに挨拶をする際「こんにちは、ドーラさん」と、マキの名前はケットの祖母と母が夕食時の会話の中で「マキがきいたらおこるわねぇ」、「マキおばちゃんに手紙書いたら?」という形で名前がわかる)。
  • エンディング間近のシーンで人ごみの中に宮崎が登場している。これはパンフレットにも書かれている。
  • スタジオジブリ作品には複数のレイアウト画が残されているが、この作品に限っては冒頭でキキがラジオを聴きながら寝転がっている顔のアップのシーン1カット分1枚しか現存が確認されていない。
  • 背景のスタッフだった神山健治の担当シーンは、ニシンのパイを蒔を使って焼くキッチンのシーンの窯の辺りと、キキがケーキをお婆さんにもらって涙ぐむシーンの書斎の辺り。
  • オープニング曲そのものが作品の一部となっている珍しい作品である(キキがラジオを点けることでオープニング曲が流れはじめ、先輩魔女に止めるように言われて消すことで曲が途中打ち切りになっているため)。
  • オキノ・フクオなど、名前や外見が一見、日本人っぽく見えるため、彼らが日本人であると一部で誤解が生じているが、彼らは日本人ではない。これらの誤解は前述の「キキが両親に宛てた手紙」「フクオが作ったお届け物受付の看板の文面」「キキの実家の玄関横に打ち付けてある看板の文面」などから生じた錯覚であると思われる。


映画内容以外[]

  • 劇中音楽の一曲である「空とぶ宅急便」の一部(サントラ収録での使用部分の時間で言うと24秒から54秒までの部分)が宮崎県宮崎市にある「なんじゃこりゃ大福」で知られる菓子店「お菓子の日高」のラジオCMのBGMとして使われている。主にFM宮崎で流れている。

登録商標について[]

スタジオジブリが劇場映画をもとに『魔女の宅急便』の商標(第2462634号,第4405430号,第4700078号)を取得しているが、主にキャラクタービジネスを意図して刊行物や様々な商品につけられる商標である。これは完成した映画名がもとになって登録が認められたもので、日本では「映画の題名」自体には商標権を設定できない。ヤマト運輸の宅急便とは、指定商品又は指定役務(サービス)の範囲が異なる。

関連出版物・CD[]

出版物[]

  • 絵コンテ集(絶版したが、後に「スタジオジブリ絵コンテ全集」のうちの1冊として再度発行されている)
  • アニメージュ特別編集ガイドブック「魔女の宅急便」(絶版)
  • THE ART OF KIKI'S DELIVERY SERVICE(絶版)
  • フィルムコミック(1〜4巻)
  • 元気になれそう
映画の製作に当たり宮崎が音楽担当の久石に曲を作ってもらう為、それぞれの場面をイメージした詩のような物を書いて渡した。この詩を一部編集し、作画スタッフが描いたイメージボードを挿絵として加えた物。
  • スタジオジブリ作品関連資料集 型録III

CD[]

  • イメージアルバム
  • サントラ音楽集
  • ヴォーカルアルバム
  • めぐる季節(シングルCD)
  • ハイテックシリーズ
  • 元気になれそう(CD・非売品)
上記の「元気になれそう」をキキの声優である高山がキキの声で朗読した物。一般販売はされず、「アニメージュ」の全員プレゼント企画で頒布された。

脚注[]

  1. 「魔女の宅急便」登録番号: 第2462634号、第4405430号、第4700078号 権利者: 株式会社スタジオジブリ
  2. 2.0 2.1 2.2 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年
  3. 片渕須直 (2010-09-06). "β運動の岸辺で 第47回 宅急便の宅送便「次は自分たちで、ね」". WEBアニメスタイル. 2011-06-24 閲覧。
  4. 叶精二『宮崎駿全書』137頁
  5. 5.0 5.1 5.2 叶精二『宮崎駿全書』148頁。
  6. 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 6.14 6.15 6.16 6.17 6.18 6.19 6.20 6.21 6.22 6.23 6.24 叶精二『宮崎駿全書』145頁。
  7. 7.0 7.1 7.2 叶精二『宮崎駿全書』146頁。
  8. 木版画による共同制作「虹の上をとぶ船」 - 版画指導:坂本小九郎
  9. 梶山寿子 『ジブリマジック―鈴木敏夫の「創網力」』 講談社、2004年。p.38

関連項目[]

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