風の谷のナウシカ | |
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監督 | 宮崎駿 |
脚本 | 宮崎駿 |
製作 | 高畑勲 |
製作総指揮 |
徳間康快 近藤道生 |
出演者 |
島本須美 松田洋治 榊原良子 納谷悟朗ほか |
音楽 | 久石譲 |
編集 |
木田伴子 金子尚樹 酒井正次 |
配給 | 東映 |
公開 |
日本1984年3月11日 アメリカ合衆国1985年6月 テンプレート:AUS1984年3月11日 テンプレート:KOR2000年12月30日 テンプレート:GER2005年9月5日 テンプレート:FRA2006年5月18日 テンプレート:TUR2007年7月6日 テンプレート:RUS2007年7月26日 テンプレート:EST2008年4月11日 テンプレート:FIN2008年9月26日 |
上映時間 | 116分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
allcinema | |
キネマ旬報 | |
AllRovi | |
IMDb | |
テンプレート:ウィキプロジェクト アニメ 『風の谷のナウシカ』(かぜのたにのナウシカ)は、トップクラフト制作の日本のアニメーション映画。1984年3月11日より東映洋画系で公開された。宮崎駿監督の長編アニメーション映画第2作。上映時間116分。
同時上映は、『名探偵ホームズ』の「青い紅玉(ルビー)の巻」「海底の財宝の巻」の2作品。
概要[]
作品[]
『アニメージュ』に連載していた宮崎駿の同名漫画を原作とする劇場版アニメ。単行本全7巻の漫画全体から見ると、序盤に当たる2巻目の途中まで連載された時点での作品であり、映画公開後に連載を再開した漫画とは内容が異なる(後述)。
単行本2巻66ページまでの内容をアニメ化。
アニメージュを発行する徳間書店と広告代理店の博報堂による製作委員会方式で[1]映画化され、宮崎自身が監督・脚本を手がけた。高畑勲・鈴木敏夫・久石譲ら、のちのスタジオジブリ作品を支えるスタッフが顔を揃えている。
キャッチコピーは「少女の愛が奇跡を呼んだ」。これは映画宣伝会社メイジャーの宣伝プロデューサー徳山雅也によるもの[2]。
同時上映の『名探偵ホームズ』は、宮崎がテレコム・アニメーションフィルム在籍時に演出として参加していながらお蔵入りになっていたもので、宮崎の手がけた短編6作品のうちの2作品。後のテレビシリーズとは声優など細部で異なる点がある。
映画化までの経緯[]
「風の谷のナウシカ#執筆の経緯」も参照
宮崎はアニメージュ編集部の依頼を受け、1982年より『風の谷のナウシカ』の連載を開始したが、テレコム・アニメーションフィルムを退社してフリーとなり、一時『ナウシカ』の漫画連載が唯一の仕事となる。この状況を知った尾形英夫編集長は、同誌の主催するイベント「アニメグランプリ」で上映する10分程度の短編としてアニメ化を提案。宮崎は主人公ナウシカの幼少期を描くプランを提示したが、結局実現しなかった[3]。次にOVAの企画があがり、宮崎は70分程度ならばと受諾したが、これも採算が合わないとして消滅した[4]。最後に長編アニメ映画案が浮上し、尾形が徳間書店社長の徳間康快から承諾を得た[4]。広告代理店大手の博報堂に宮崎の弟が勤めていたことも幸いし、映画化と全国ロードショー公開が実現することになった。公開前には徳間康快指揮の下、徳間ジャパンなども含めたグループ総動員で宣伝活動がなされた[5]。
宮崎はアニメーションにならない世界を描くつもりで『ナウシカ』を執筆しており、実際に映画化が決まると困惑したという[6]。それでも「アニメーションをやるには『ナウシカ』しかないって言うんだったらやってみよう」[6]という思いで制作作業に取り組んだ。
反響[]
1984年度のアニメグランプリ、日本アニメ大賞の作品部門をダブル受賞。また、映画雑誌ではベストテンに選出され、新聞のコラムでは「女性原理の主張」や「自然との共生」という視点を賞賛される[7][8]など、アニメの枠を越える評価を受けた。国内外で複数の映画賞を受賞し、アニメーション作家としての宮崎駿の知名度を引き上げる作品となった。
観客動員は約91万5千人、配給収入は約7.4億円。当時のアニメ映画としては大ヒット作品ではなかったが[9]、その後のソフト販売・レンタルでは一般映画に並ぶ売上げを記録した。オリコンランキングでは、1997年発売のVHS版、2003年発売のDVD版、2010年発売のBlu-ray版が各部門1位を獲得しており、史上初の同一作品による3部門制覇を成し遂げている[10]。
サウンドトラック『風の谷のナウシカ〜はるかな地へ〜』はオリコンアルバムチャートで最高8位[11]、安田成美が歌うシンボルテーマソング『風の谷のナウシカ』は同シングルチャートで最高10位[12]を記録した。
宮崎は興行的成功については「ものを作るチャンスがまた巡ってくるかもしれないと思って、ほんっとにホッとしたんですよ。運が良かったと思って」[13]と語っている。映画としては原作漫画の途中までしか描かれていない不完全な作品とし、自身ではあまり評価していない[14]。原作完結後の1997年に公開された『もののけ姫』は、テーマが本作の延長線上にあり比較される事もある。
日本テレビ系列の「金曜ロードショー」では1~2年に1度の割合で放送され、放送回数は当番組最多の13回を数える[15]。
あらすじ[]
産業文明を崩壊させた最終戦争から千年。人類の末裔は猛毒の瘴気を放つ腐海(ふかい)に覆われた世界で暮らしている。平穏な辺境の小国、風の谷には、人々が忌み嫌う腐海の生き物と心を通わせる優しい少女、ナウシカが住んでいた。
ある夜、風の谷に大国トルメキアの輸送機が墜落し、残骸の中からかつて世界を焼き尽くした巨神兵(きょしんへい)の卵が発見される。ナウシカはトルメキア軍の捕虜となり、迷いこんだ腐海の深部で、汚染された大地を再生する営みが行われていることを知る。
風の谷で目覚める巨神兵と、谷に迫る王蟲(オーム)の大群。ナウシカは人の過ちと自然の怒りを収めるため、風に乗って空を翔ける。
テンプレート:ネタバレ
原作との違い[]
映画の制作準備のため、原作漫画の連載は『アニメージュ』1983年6月号にて一時中断された。この時点では単行本第3巻のはじめの部分(住民が全滅した集落で、ナウシカが蟲に襲われる場面)までが描かれていた。映画版では単行本第2巻途中、王蟲の群れが暴走するエピソードまでを扱い、設定や展開を脚色している。
以下に原作と映画版のおもな相違点を記す。登場人物に関しては「風の谷のナウシカの登場人物」を参照。
- 勢力図
- 原作ではトルメキアと土鬼(ドルク)諸侯連合の二大勢力の紛争(トルメキア戦役)に、風の谷やペジテ市などの小国が巻き込まれる構図。映画版に土鬼は登場せず、トルメキアがこれらの小国に侵攻する構図となっている。
- トルメキア
- 原作では風の谷やペジテ市などの辺境諸国と同盟を結んでいる王国だが、映画版でははるか西方に存在する強大な軍事国家であり、ペジテ市で発掘された巨神兵を奪取しに来た侵略者として描かれる。王族同士の権力争いは描かれず、辺境諸国統合の司令官となったクシャナのみ登場する。また、突撃砲や「大型船」など、原作には無かった技術を有している。トルメキア兵は原作の蟲使いと似た形状のヘルメットを使用している。
- 風の谷
- 原作ではトルメキアとの盟約に従い、ナウシカがクシャナの部隊の南下作戦に従軍する。その後は物語にほとんど登場しない。映画版ではトルメキア軍によって占領され、巨神兵の卵の培養地となったため、ペジテ市の残党により王蟲の暴走の標的とされる。
- ペジテ市
- 原作・映画版とも、地下で発掘された巨神兵を狙うトルメキア軍に侵攻される。原作では、避難民を乗せた輸送機が墜落してアスベル以外の住民は全滅する。映画版では、生き残りの避難民達が巨神兵を使った腐海の焼却を目的に行動し、駐留するトルメキア軍を壊滅させるために王蟲を暴走させ、自らの手で国を腐海に飲み込ませ滅ぼしている。
- 巨神兵
- 原作では知性を持つ巨大生命体として描かれるが、映画版では腐海を焼き払うための生物兵器として扱われる。詳細は「巨神兵」を参照。
- 腐海
- 人類によって汚染された大地を再生するために繁殖した生態系という仮説は、原作序盤でも語られている。しかし、原作の終盤では旧文明の科学力により創出された浄化装置の一種であることが明かされる。
- ラストシーン
- 傷つけた王蟲の幼生を囮にして、王蟲の群れを暴走させるという作戦は同一だが、原作では土鬼軍がクシャナの部隊の宿営地に対して仕向ける。その後、ナウシカが暴走を停止した群れへ幼生を帰す。映画版ではペジテ残党が風の谷(巨神兵)に対して行い、ナウシカが身を犠牲にして王蟲の怒りを鎮める。
- ナウシカは原作では土鬼のマニ族の服、映画版ではペジテの服を着ている。その姿を「青き衣の者」伝説の具現と呼ぶのは、原作ではマニ族僧正、映画版では風の谷の大ババである。
- 宮崎の絵コンテでは、ラストシーンは突進してくる王蟲の前にナウシカが降り立つ場面で終わっていた[16]。高畑勲と鈴木敏夫は娯楽映画としてカタルシスが足りないと考え、一旦死んだ後甦るという案を提案し[17]、公開間近で焦っていた宮崎はこれを受け入れた[16]。これについて宮崎は、テンプレート:要出典範囲。鈴木は「いまだに宮さんはあのシーンで悩んでいますね」[16]と述べている。
- 押井守は演出で強引にラストへと持っていったことに関して「あそこは納得できません」としている[18]。後年には「宮さん流の『宇宙戦艦ヤマト』なんですよ。色々粉飾をこらしているけど、特攻隊精神が充満している」[19]とも述べている。
テンプレート:ネタバレ終了
声の出演[]
「風の谷のナウシカの登場人物」を参照
キャラクター | 日本語版 | 英語版 |
---|---|---|
ナウシカ | 島本須美 | アリソン・ローマン |
アスベル | 松田洋治 | シャイア・ラブーフ カム・クラーク(Warriors of the Wind版) |
クシャナ | 榊原良子 | ユマ・サーマン |
ユパ | 納谷悟朗 | パトリック・スチュアート |
大ババ | 京田尚子 | トレス・マクニール |
クロトワ | 家弓家正 | クリス・サランドン |
ジル | 辻村真人 | マーク・シルヴァーマン |
ミト | 永井一郎 | エドワード・ジェームズ・オルモス |
ゴル | 宮内幸平 | フランク・ウェルカー |
ギックリ | 八奈見乗児 | ジェフ・ベネット |
ムズ | 辻村真人テンプレート:要出典 | ジェームズ・アーノルド・テイラー |
ニガ | 矢田稔 | マーク・シルヴァーマン |
ラステル | 冨永みーな | エミリー・バウアー |
ペジテ市長 | 寺田誠 | マーク・ハミル |
ラステルの母 | 坪井章子 | ジョディ・ベンソン |
トエト | 吉田理保子 | |
少年 | 坂本千夏・TARAKO・鮎原久子 | |
少女 | 菅谷政子・貴家堂子・吉田理保子 | グレイス・ロレク |
コマンド | 水鳥鉄夫 | |
トルメキア兵 | 野村信次・大塚芳忠 | |
ペジテ市民 | 中村武己・島田敏 | |
ペジテの少女 | 太田貴子 | アシュレイ・ ローズ・オル |
ナレーター | トニー・ジェイ |
スタッフ[]
- 原作・脚本・監督 - 宮崎駿
- 作画監督 - 小松原一男
- 美術監督 - 中村光毅
- 原画 - 金田伊功、吉田忠勝、福田忠、丹内司、鍋島修、賀川愛、なかむらたかし、小林一幸、高坂希太郎、羽根章悦、小原秀一、庵野秀明、小田部羊一、才田俊次、高野登、池田淳子、渡部高志、富山正治、林貴則
- 原画補 - 吉田正宏、大久保富彦
- 背景 - 木下和宏、吉崎正樹、海老沢一男、野崎俊郎、西村くに子/スタジオビック
- ハーモニー処理 - 高屋法子
- 動画チェック - 尾沢直志、平塚英雄
- 動画 - 飯田馬之介、篠原征子、二木真希子 他
- 特殊効果 - 水田信子
- 色指定 - 保田道世、鈴木福男
- 仕上検査 - 荻原穂美
- 撮影 - 白神孝始/首藤行朝、清水泰宏、杉浦守
- 撮影協力 - 宮内征雄、平井昭夫、小林武男(高橋プロダクション)
- 編集 - 木田伴子/金子尚樹、酒井正次
- 現像 - 東京化学工業
- 演出助手 - 棚沢隆、片山一良
- 音楽 - 久石譲
- 音響監督 - 斯波重治
- 録音演出 - 斯波重治
- 音響制作 - オムニバスプロモーション
- 録音スタジオ - 新坂スタジオ
- 整音 - 桑原邦男
- 効果 - 大平紀義、佐藤一俊
- 制作担当 - 酒井澄
- 制作デスク - 鈴木重裕
- 制作進行 - 押切直之、神戸守、島崎奈々子
- 製作総指揮 - 徳間康快、近藤道生
- プロデューサー - 高畑勲
- 企画 - 「風の谷のナウシカ」製作委員会
- 山下辰巳、奥本篤志、尾形英夫、森江宏
- 徳間書店:和田豊、小原健治、鈴木敏夫、亀山修、大塚勤
- 博報堂:佐藤孝、中谷健太郎、宮崎至朗
- 制作 - 原徹、トップクラフト
- 製作 - 徳間書店、博報堂
シンボルテーマソング[]
- 「風の谷のナウシカ」
- 作詞 - 松本隆 / 作曲 - 細野晴臣 / 歌 - 安田成美
- 映画公開前にイメージガールが募集され、7600人あまりの応募者から後に女優となる安田成美がグランプリを獲得。歌手としてもイメージソングを歌い、ファーストシングルとして1984年1月25日に徳間ジャパンコミュニケーションズより発売された。
- 当初、主題歌となる旨が発表されていたが、宮崎と高畑が本作の内容と楽曲の乖離等を理由に反対し、劇中本編で使用されることはなかった。しかし、映画プロモーション用のイメージソングとして、エンディングタイトルには刻まれている[20]。
- 2007年に発売された『細野晴臣トリビュート・アルバム』で坂本龍一と嶺川貴子のコンビでカヴァーされている。
補足[]
制作体制[]
映画は1983年になって始動し、同年5月、プロデューサーに高畑勲が選ばれる。長年宮崎と仕事を組んで来た仲間であり、宮崎の指名によるものだった。当初、自分はプロデューサー向きではないと渋ったものの、アニメージュの鈴木敏夫副編集長の説得により受諾し[21][22]、8月から作画に取りかかる。
制作拠点となったのは、宮崎や高畑の東映動画時代の同僚である原徹たちが運営し、主に海外合作を手がけていたトップクラフト。ここに宮崎らはフリーで参加するという形を取る。当初、宮崎らはテレコム・アニメーションフィルムか日本アニメーションを制作母体とすることを考えていた[23]。テレコムは長編アニメーション制作を目的に設立された会社で『ルパン三世 カリオストロの城』もここで制作された。宮崎や高畑は籍を離れたとはいえ、大塚康生などかつての仲間たちも在籍している。宮崎の考える制作環境としてはうってつけだったが、同社は『NEMO/ニモ』の準備に忙しく、一部スタッフが手伝い程度に参加するに留まった。
鈴木によれば、宮崎・高畑コンビが在籍した会社はそのあとダメになるという通説のため、制作拠点探しは難航し、本作の成功後も状況は変わらなかったという[24]。次作『天空の城ラピュタ』ではトップクラフトを改組する形でスタジオジブリを設立し、以降の宮崎と高畑の長編アニメーション映画を制作する拠点となった。
本作には、それまで宮崎と付き合いのなかった新しい顔ぶれのスタッフも多数参加している。宮崎や高畑が要求する高いレベルのスタッフがトップクラフト内だけでは不十分だったこともあり、2人が過去に関係した人材のみならず、尾形英夫ら「アニメージュ」関係者も、取材を通じて知った人材などをスカウトしてスタッフが集められた。本作で原画で参加したトップクラフトのアニメーターは4、5人程度で、原画マンも動画として参加させるほどスタッフを淘汰していたという[25]。
作画監督はテレビ時代の東映動画の中心アニメーターであるOH!プロダクションの小松原一男。美術監督の中村光毅は、神秘的な腐海の背景制作を担当した。原画にはタツノコプロ系のなかむらたかしや、「金田パース」という独特の作画で人気だった金田伊功、後に『新世紀エヴァンゲリオン』で名を馳せる庵野秀明などが集結している。金田は宮崎アニメを支える有力スタッフとなり、1997年の『もののけ姫』まで連続して参加したが、本作では人物にパースを付けすぎて、宮崎に大幅に手直しされた。庵野は作品ラストの巨神兵のシーンの原画を担当したが、人物作画が出来ず丸や記号だけで済ませて宮崎に任せてしまったり、宮崎の指示に不満があってタイムシートを勝手に書き換えたと述懐している。宮崎が絵コンテを仕上げるスピードが遅かったために、それに応じて作品の規模は縮小している。
王蟲の登場シーンでは巨大さと重量感を表現するためにハーモニー技法が用いられ、さらに体節の動きを再現する為に、パーツをゴムで繋いで伸縮させるゴムマルチという方法で撮影している。鳴き声は布袋寅泰によるギターも使われている。
音楽[]
音楽では、後の宮崎作品にも関わっていく久石譲が初めて参加している。当初、久石は映画に先行して発売されたイメージアルバムの担当で、映画の劇伴音楽は前述の安田成美の主題歌を担当した細野が担当する予定であったが、宮崎と高畑が久石のイメージアルバムを気に入ったため、本編の音楽にも起用され、主題歌のみが存在することになった。久石のイメージアルバムへの起用はレコード会社の推薦で、それまで宮崎も高畑も久石の予備知識は何もなかったとされる。映画で使われている「遠い日々」は、当時4歳だった久石の娘、麻衣が歌っている。
海外版[]
アメリカでは『Warriors of the Wind(風の戦士たち)』という英題を付けられ劇場公開された。これはロジャー・コーマンが創立したニューワールド・ピクチャーズ社の配給であり、腐海の浄化作用などの設定やナウシカの過去に関する描写は省かれ、日本で116分だった上映時間は95分に短縮されている。またナウシカが「ザンドラ姫」となっているなど、登場人物の名前もほとんどが改変されている。このバージョンを知らなかった宮崎は、朝日新聞1985年9月17日夕刊「いまアニメの時代」の連載3回目を読んで初めて知り、無断で改変されたことに激怒した。[26]
『Warriors of the Wind』は同年にVHSビデオで発売されている。その後南アメリカやヨーロッパに二次輸出され、アルゼンチン、イギリス、スペイン、フランス、ドイツなどで改変された内容のままVHSがリリースされた。フランスではVIP Internationalから『Le Vaisseau Fantome(幽霊船)』の題で、Blue Kid's Videoから『La Princesse des Etoiles(星のプリンセス)』の題で発売された。[27]
その後ディズニー配下のブエナビスタ・インターナショナルがビデオ配給の権利を得て、改変が施されていないオリジナルバージョンが各国に配給されるようになった。後に2005年にナウシカの完全英語版がDVDで発売された。[28]
実現しなかった外伝と続編[]
原画として参加した庵野秀明は、後に作中の登場人物クシャナを主人公にした外伝映画『クシャナ戦記』の監督をしたいと申し出るが、宮崎は「最低のものになる、できるものなら自分でやっている」と却下している[29]。
漫画作品の連載がクライマックスを迎えた頃には映画会社内で続編の企画が存在したが、宮崎駿の意向により制作は行われず企画は立ち消えとなった[30]。
扱い[]
上述しているように、この作品はスタジオジブリが会社として発足する以前に製作・公開された映画であるため、厳密的にはスタジオジブリ作品ではない。しかし、金曜ロードショーにて放送される際にも冒頭でトトロの描かれているブルースクリーンが表示されているほか、スタジオジブリが販売したVHSビデオ「ジブリがいっぱいコレクション」シリーズにも含まれているなど、スタジオジブリ作品の一つとして幅広く認知され、スタジオジブリ側も同社のシリーズ作品の一つとして公式に扱っている。
受賞・推薦[]
日本[]
- WWF世界野生生物保護基金(現・世界自然保護基金)推薦
- 文化庁優秀映画製作奨励賞
- 第39回(1984年)毎日映画コンクール 大藤信郎賞
- キネマ旬報1984年度ベスト・テン日本映画第7位/読者選出日本映画第1位/読者選出日本映画監督賞
- 1984年(第13回)ぴあテン 映画部門第2位
- 第2回アニメフェスティバル 日本アニメ大賞 最優秀作品賞
- 全国映連賞日本映画作品部門第1位 日本映画作品賞部門1位
- 日本SF大会星雲賞 メディア部門 第1位(1985年)
- 第1回映像ソフト大賞 ビデオ部門アニメ賞
- 第7回(1984年)月刊アニメージュ アニメグランプリ 作品賞
- 第8回~15回(1984年~1992年)月刊アニメージュ アニメグランプリ 歴代ベスト1作品
ここまでの出典[4]。
- 日本のメディア芸術100選アニメ部門選出(2006年)
海外[]
- 第14回パリ国際SF&ファンタジー・フェスティバル 特別審査委員賞(準グランプリ)
- ザグレブSF&ファンタジーフィルムフェスティバル 第1位
- ローマ・ファンタジー&SFフィルムフェスティバル 第1位
ここまでの出典[4]。
関連商品[]
- 映像ソフト
-
- ビデオ(VHS、ベータ) - 徳間書店 1984年3月21日発売
- LD - 徳間書店 1984年4月25日発売
- VHD - 徳間書店 1984年8月1日発売
- ビデオ(VHS廉価版) - ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 1997年9月19日発売
- DVD(通常版) - ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2003年11月19日発売
- DVD(ナウシカ・フィギュア セット) - ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2003年11月19発売
- DVD(コレクターズBOX) - ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2003年11月19日発売
- Blu-ray Disc[31] - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 2010年7月14日発売
- 出版
-
- ジ・アート・オブ 風の谷のナウシカ(1984年)
- 風の谷のナウシカ―絵コンテ(1)(アニメージュ文庫)(1984年3月)
- 風の谷のナウシカ―絵コンテ(2)(アニメージュ文庫)(1984年3月)
- 風の谷のナウシカ(上)(徳間アニメ絵本)(1988年3月)
- 風の谷のナウシカ(下)(徳間アニメ絵本)(1988年3月)
- 風の谷のナウシカ―宮崎駿水彩画集(ジブリTHE ARTシリーズ)(1996年9月)
- フィルムコミック 風の谷のナウシカ4巻セット「トルメキア戦役バージョン」(2003年10月)
- 音楽
-
- 風の谷のナウシカ BEST (CD) (1986年11月)
- 「風の谷のナウシカ」サウンドトラック はるかな地へ…(1993年7月)
- 風の谷のナウシカ ハイテックシリーズ(サウンドトラック)(2004年8月)
- 風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人… (CD) (2004年8月)
- 風の谷のナウシカ (CD) (2004年10月)
- ピアノ曲集 風の谷のナウシカ イメージアルバム&サウンドトラック(2008年6月)
- 玩具・模型
- ツクダホビーよりナウシカや王蟲、メーヴェ、ガンシップなどのプラモデルやジャンボフィギュアが発売された。2011年にはバンダイよりハイエンドトイの「FORMANIA ガンシップ」 が発売された[32]。
売上記録[]
(日本国内)
内容 | 記録 | 補足 |
---|---|---|
興行収入 | 約14.8億円[33] | 推測 |
配給収入 | 約7.42億円[33] | |
全国動員 | 91万4767人[33] | |
『イメージアルバム〜鳥の人〜』 | 6万枚出荷(1983年発売のLP)[34] 5万本出荷(1983年発売のCA)[34] 4万枚出荷(1985年発売のCD)[34] 3万枚出荷(1993年発売の再発CD)[34] 0.5万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[34] |
|
『サウンドトラック〜はるかな地へ〜』 | 9万枚出荷(1984年発売のLP)[34] 10万本出荷(1984年発売のCA)[34] 9万枚出荷(1984年発売のCD)[34] 11万枚出荷(1993年発売の再発CD)[34] 1万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[34] |
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『風の谷のナウシカ』 | (1984年発売のレーザーディスク) 徳間コミュニケーションズ CLV 116分 MONO (音声)98LX-1 |
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『ドラマ編〜風の神さま〜』 | 4万枚出荷(1984年発売のLP)[34] 4万本出荷(1984年発売のCA)[34] 1.2万枚出荷(1989年発売のCD)[34] 1万枚出荷(1993年発売のCD)[34] |
|
『シンフォニー編〜風の伝説〜』 | 6万枚出荷(1984年発売のLP)[34] 5万本出荷(1984年発売のCA)[34] 4万枚出荷(1984年発売のCD)[34] 3万枚出荷(1993年発売の再発CD)[34] 0.5万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[34] |
|
『ハイテックシリーズ』 | 2万本出荷(1989年発売のCA)[34] 6万枚出荷(1989年発売のCD)[34] 2万枚出荷(1993年発売の再発CD) 0.5万枚出荷(2004年発売の再々発CD)[34] |
|
『BEST COLLECTION』 | 5万枚出荷(1986年発売のCD)[34] | |
シンボルテーマソング 『風の谷のナウシカ/風の妖精』 |
4万枚出荷(1986年発売のシングルCD)[34] 9万枚出荷(1988年発売の再発シングルCD)[34] 0.5万枚出荷(2004年発売の再々発シングルCD)[34] |
|
VHS・ベータ(徳間版) | 12万本出荷[35] | 1989年7月時点 |
VHS(ブエナビスタ版) | 90万本出荷[35] | 2003年6月時点 |
DVD | 75万枚出荷[35] | 2005年3月時点 |
Blu-ray Disc | 2.0万枚売上(発売初週) | 2010年7月時点 |
関連番組・作品[]
ラジオ特番[]
- 風の谷のナウシカスペシャル
- アニメ映画公開前日の1984年3月10日深夜(日付は3月11日)にニッポン放送「オールナイトニッポン」で映画を宣伝する「風の谷のナウシカスペシャル」が生放送された。ゲストは監督の宮崎駿やナウシカガールの安田成美。この特別番組内では、約30分のラジオドラマが流された。
- 当時の同種のアニメ映画のオールナイトニッポンスペシャルでは生のラジオドラマも多かったが、本作では事前に収録が行なわれていた。宣伝という性格上、ストーリーと声優のキャスティングはアニメ版に準拠し、途中までをドラマ化し、続きを映画館で見せるとの趣向だった。脚色は藤井青銅、演出はドン上野こと上野修。
ゲーム[]
劇場アニメ版とのタイアップとして、1984年に徳間書店からテクノポリスソフトのブランド名で、当時の8ビットパソコン用にナウシカを素材としたコンピュータゲームが発売された。
- 『風の谷のナウシカ』
- PC-8801用。徳間書店、アドベンチャーゲーム、6,800円 。
- 『ナウシカ危機一髪』
- PC-6001mkII用。シューティングゲーム。土鬼の飛行ガメを撃ち落としていく。
- 『忘れじのナウシカ・ゲーム』
- MSX用。シューティングゲーム。ストーリー的には漫画版をベースにしている。風の谷へ侵攻する土鬼を最終的には交渉して引き返させるのが目的。ガンシップ、メーヴェ、パージの連結・切り離し、土鬼の浮砲台、飛行ガメ、王蟲、ストロボ光弾など原作の要素が含まれている。飛行している蟲は撃ち落とすことはできず、接触すると減点となる。
「ナウシカのゲームが、ナウシカが腐海の蟲たちを撃ち殺してスコアを稼いでゆくというもので、このゲームに宮崎や高畑が激怒したため、以降の作品がゲーム化されなくなった」という説があるが[36]、実際にはこのような内容のゲームは存在しない。
その他、徳間書店アニメージュ文庫から『巨神兵を倒せ! 風の谷のナウシカ』というゲームブック[37]、ツクダホビーから『風の谷のナウシカ』というボードウォー・シミュレーションゲームが発売された。
脚注[]
- ↑ 梶山寿子『ジブリマジック――鈴木敏夫の「創網力」――』 講談社、2004年、p.33。
- ↑ 叶 (2006)、p.63。
- ↑ アニメージュ編集部編 「ナウシカへの道」『ジ・アート・オブ・ナウシカ』 徳間書店、1984年、p.182。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 叶(2006年)。
- ↑ 徳間グループ傘下の大映は、アニメへの理解とノウハウがなかったため製作に関与していない。
- ↑ 6.0 6.1 宮崎(2002)、pp.243 - 244。
- ↑ 川本三郎 「映像」『毎日新聞』 1984年3月17日夕刊4面。
- ↑ 「天声人語」『朝日新聞』 1985年1月8日朝刊1面。
- ↑ 1984年公開の長編アニメ映画では、『ドラえもん のび太の魔界大冒険』の配給収入16.5億円がトップ(日本映画製作者連盟)。
- ↑ オリコンBDランキング、「風の谷のナウシカ」が史上初の金字塔サーチナ 2010年7月21日
- ↑ 『オリコン・チャートブック LP編 昭和45年-平成1年』 オリジナル・コンフィデンス、1990年、332頁。ISBN 4871310256
- ↑ 『オリコン年鑑 1985年版』 オリジナルコンフィデンス、1985年、p18。
- ↑ 宮崎(2002)、p.276。
- ↑ 叶 (2006)、pp.72-73。
- ↑ 放送履歴は1986年4月25日、1988年7月22日、1990年9月28日、1992年7月17日、1994年3月18日、1996年3月8日、1997年7月4日、2000年2月11日、2002年1月11日、2004年1月16日、2006年2月3日、2008年6月6日、2010年2月19日
- ↑ 16.0 16.1 16.2 鈴木(2008)、pp.48 - 50。
- ↑ ほかに「ナウシカが死んで永遠の伝説になる」という案も検討された(出典:鈴木 (2008) 、p.49)。
- ↑ 『映画 風の谷のナウシカ GUIDE BOOK』、p.201。
- ↑ 叶(2006)、p.71(キネ旬臨時増刊『宮崎駿・高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』 キネマ旬報社、1995年より引用)。
- ↑ 叶 (2006)、p.61およびp.63。
- ↑ 鈴木 (2005)、p.72。鈴木 (2008)、p.42。
- ↑ 最初に高畑にプロデューサー就任を断られたとき、宮崎は酒席で「高畑に全青春を捧げたのに」と涙を流したという(鈴木(2008)、p.41)。
- ↑ 叶 (2006)、p.42。
- ↑ 渋谷陽一 「鈴木敏夫、ジブリとは何かを語る」『CUT』2009年12月号、ロッキング・オン、p.35。
- ↑ 小黒祐一郎 『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』 飛鳥新社、2006年、p.415(渡部高志の発言)。
- ↑ 叶 (2006)、p.67。
- ↑ 叶 (2006)、p.68。
- ↑ Nausicaa of the Valley of Wind (www.allmovie.com)
- ↑ 『コミックボックス』 1995年1月号。
- ↑ 鈴木貴博. "ビジネスを考える目 第143回 映画『風の谷のナウシカ2』は実現するのか". ITマネジメント. 2008-09-11 閲覧。
- ↑ 「ナウシカ」Blu-ray完成、26年前公開当時の色を再現 -鈴木P「宮崎監督にBDを説明」、「エヴァは巨神兵」 AV Watch 2010年5月27日。
- ↑ バンダイ、「風の谷のナウシカ」に登場の「ガンシップ」完成品モデル 日経デザイン 2010年10月4日。
- ↑ 33.0 33.1 33.2 叶 (2006)、p.65。
- ↑ 34.00 34.01 34.02 34.03 34.04 34.05 34.06 34.07 34.08 34.09 34.10 34.11 34.12 34.13 34.14 34.15 34.16 34.17 34.18 34.19 34.20 34.21 34.22 34.23 34.24 34.25 叶 (2006)、p.62。
- ↑ 35.0 35.1 35.2 叶 (2006)、p.66。
- ↑ 宮崎駿がコンピューターゲーム嫌いになったのはこのゲームが原因という記述が井坂十蔵の『宮崎駿のススメ。』にもある。
- ↑ 下村家恵子著、ふくやまけいこイラスト。ISBN 978-4196695639
参考文献[]
- 井坂十蔵編著 『宮崎駿のススメ。-「宮崎アニメ」完全攻略ガイド』 21世紀BOX 、2001年7月。ISBN 4-88469-235-7
- 尾形英夫 『あの旗を撃て!-『アニメージュ』血風録』 オークラ出版、2004年11月。ISBN 4-7755-0480-0
- 叶精二 『宮崎駿全書』 フィルムアート社、2006年。ISBN 4-84590687-2
- 酒井信 『最後の国民作家 宮崎駿』 文藝春秋〈文春新書〉、2008年
- 鈴木敏夫 『映画道楽』 ぴあ、2005年4月。ISBN 4-8356-1540-9
- 鈴木敏夫 『仕事道楽 スタジオジブリの現場』 岩波書店〈岩波新書〉、2008年。 ISBN 978-4-00-431143-0
- スタジオジブリ責任編集 『ナウシカの「新聞広告」って見たことありますか。-ジブリの新聞広告18年史』 徳間書店スタジオジブリ事業本部、2002年7月。ISBN 4-19-861538-1
- 高畑勲 『映画を作りながら考えたこと-1955~1991』 徳間書店、1991年8月。ISBN 4-19-554639-7
- 藤井青銅 『ラジオな日々 80's RADIO DAYS』 小学館、2007年。
- 宮崎駿 『風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡』 ロッキング・オン、2002年7月。ISBN 4-86052-007-6
関連項目[]
- 1984年の日本公開映画
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