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ゲド戦記
監督 宮崎吾朗
脚本 宮崎吾朗
丹羽圭子
製作 鈴木敏夫
出演者 岡田准一
菅原文太
手嶌葵
田中裕子
音楽 寺嶋民哉
主題歌 手嶌葵
撮影 奥井敦
編集 瀬山武司
製作会社 スタジオジブリ
日本テレビ
電通
博報堂
DYMP
ディズニー
三菱商事
東宝
配給 東宝
公開 2006年7月29日
上映時間 115分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 76.5億円
allcinema
キネマ旬報
AllRovi
IMDb
  
ゲド戦記
ジャンル ファンタジー
映画:ゲド戦記
Tales from Earthsea
監督 宮崎吾朗
制作 スタジオジブリ
封切日 2006年7月29日
上映時間 115分
コピーライト表記 ©2006 二馬力GNDHDDT
テンプレート使用方法 ノート

ゲド戦記』(ゲドせんき、英題:Tales from Earthsea)は、アーシュラ・K・ル=グウィンの小説『ゲド戦記』の主に第3巻の「さいはての島へ」を原作とし、宮崎駿の絵物語『シュナの旅』を原案とした長編アニメーション映画スタジオジブリ制作。東宝配給で2006年7月29日に劇場公開。宮崎吾朗監督・脚本の独自解釈によるストーリーとなっている。

登場人物[]

テンプレート:ネタバレ 原作『ゲド戦記』ではなく、絵物語『シュナの旅』がキャラクターイメージの元となっている。監督の宮崎吾朗は「『シュナの旅』の登場人物に少しずつアレンジを加えていって…『ゲド戦記』の世界に近づいた感じです」と語った[1]

( )内はその人物の(まこと)の名。作中の世界(アースシー)では、人に真の名を教えることはその者の掌中に己の魂を委ねることと同じで、通常、真の名を隠す。

」も参照

アレン(レバンネン)
主人公。エンラッドの王子。17歳。真面目すぎる性格のために世の中の暗黒についてまで心を悩ませるうち、本来は心の“光”だった彼の分身が“影”となって去ってしまう。心の均衡を失い、衝動的に父王を殺害、国を捨てて失踪。逃走中にハイタカに命を救われ、ハイタカと共に世界に異変を起こしている災いの根源を探す旅に同行する。
テルー(テハヌー)
ヒロイン。顔に火傷の痕がある少女。テナーと共に作物や羊を育てて暮らしているが、特に自分の命を大切にしない人間には容易に心を開かず、両親に虐待された末に捨てられた辛い過去を持つ。心に闇を持ち折に触れて自暴自棄になるアレンを嫌っていたが、彼もまた自分のように心に傷を負っていると知ると段々アレンに歩み寄るようになっていった。清廉な心を持つハイタカには出会ってからすぐに信用し、彼のことをタカと呼ぶ。
ハイタカ(ゲド)
アースシーの大賢人。世界の均衡が崩れつつある事を察知し、アレンと共に災いの源を探る旅に出る。頬に傷がある。世界の均衡を崩さぬよう、みだりに魔法を使ってはならないと考えている。
テナー
ハイタカの昔なじみで、彼のよき理解者。ゲドという彼の真の名を知っている。親に捨てられたテルーを女手一つで育てている。昔、カルガド帝国にあるアチュアンの墓地の巫女をしていた。このことは台詞のみで語られている。映画では髪は金色だが、原作では髪は黒い。
クモ
永遠の命を得るために、禁断の生死両界を分かつ扉を開いた魔法使い。かつて魔法を濫用したが、ゲドに阻止されたため、彼に復讐する機会をうかがっている。男性だが、声優とその外見から女性的に見えるキャラクターとなっている。英語版での名前はCob。
かつて「ハブナーのクモ」と呼ばれ、人が金を払いさえすればパルンの『知恵の書』を使い、望み通りの人間をあの世から呼び出していた。しかし、師の魂を呼び出され憤った若き日のハイタカは、泣きわめいて抵抗するクモを無理矢理黄泉の国まで連れて行き、恐怖の底に突き落とした。その後クモは、改心を誓って西へと去ったが、その心の底ではハイタカへの復讐を誓っていた。
ウサギ
人狩りを生業とするクモの部下。小心者だが、クモの力をかさに着て傍若無人に振る舞う。アレンを坊っちゃん、テルーをお嬢ちゃんと呼ぶ。これはウサギ役の声優本人が希望した呼び方らしい。英語版での名前はHare。
国王
エンラッドの賢王で、アレンの父。賢王の名にふさわしく、国民のことを常に考えており、国土の各地から報告される異常事態に憂慮していた。ある夜、突如アレンに刺殺され、身に帯びていた魔法の剣を奪われる。
王妃
アレンの母。国を継ぐものとして、アレンを厳しくしつける。いつも猫を抱いている。
女主人
都城ホート・タウンに住む元まじない師。現在は魔法を信じられなくなり、模造品の生地を売っている。
ハジア売り
常習すると死に至るハジアを扱う商人。ハジアとは麻薬の一種であり、アレンに気安く近づきハジアを売りさばこうとするが、ハイタカに止められふて腐れて退散する。どこか『もののけ姫』のジコ坊に似ている。
ルート
エンラッド国王の側近の老魔法使い。世界の均衡が崩れつつある事に憂慮している。
2人組のオバさん
テナーの家の近くに住む村人。テナーの作る薬を買っているが、内心ではテナーやテルーの事を薄気味悪がっている。なお、この2人組の動きは、ハウルの動く城で王宮の大階段のシーンを手がけたアニメーター、大塚伸治によるものである。

声の出演[]

キャラクター 日本語版 英語版
アレン(レバンネン) 岡田准一 マット・ルヴァン
テルー(テハヌー) 手嶌葵 マリシュカ・ハージティ
ハイタカ(ゲド) 菅原文太 ティモシー・ダルトン
テナー 風吹ジュン Blaire Restaneo
クモ 田中裕子 ウィレム・デフォー
ウサギ 香川照之 チーチ・マリン
国王 小林薫 不明
王妃 夏川結衣
女主人 倍賞美津子
ハジア売り 内藤剛志
ルート 飯沼慧
2人組のオバさん 梅沢昌代
神野三鈴
船に乗っていた風の司 加瀬康之
国王の家臣 阪脩
王宮の侍女 八十川真由野
ウサギの部下 西凛太朗
船員 白鳥哲
役不明 池田勝
鵜澤秀行
宝亀克寿
田村勝彦
斎藤志郎
廣田高志
清水明彦
佐藤淳
中村悠一
杉山大
加藤英美里
木川絵理子
藤堂陽子
渡辺智美
田中宏樹、他
ジェフ・ベネット
スティーブ・クレイマー
デイヴィッド・ロッジ
トレス・マクニール
ケビン・マイケル・リチャードソン
ジェス・ハーネル、他

原作との相違点[]

本作品はアーシュラ・K・ル=グウィンによって書かれた「ゲド戦記」を原作としており、世界観や設定、登場人物名や用語などでいくつかの共通点を持つ。その一方、原案『シュナの旅』の影響が強いため、原作とは異なる点も多い。本作品と原作ゲド戦記の主要な相違点は以下のとおりである。

影の意味
原作3巻にアレンの影は出てこない。鈴木敏夫が『ゲド戦記』のテーマに触れる入り口として導入を提案した。原作1巻の影の物語をハイタカからアレンに移植し、影の役割も変わっている。
制作者によると本作では影の意味は原作とは対照的に設定されているようである。原作では若きハイタカ(ゲド)の影が「心の闇(憎しみや傲慢)」として描かれているが、映画ではアレンの影が「心の光の存在」であるとして描かれている。
原作における影は、光を受けた時に認識する事ができる、様々な受入れがたい心の傷(良心の呵責等)や、結果的に自分を害する事に繋がる弱い心(憎しみや傲慢等)である[2]。原作では影は、様々なゲドの経験から蓄積された無自覚な否定したい心の部分が召喚魔法により具現化し実体を脅かす存在となり、実体であるゲドにつきまといゲドは次第に追いつめられて行く。しかし、少年ゲドが影から逃げるのをやめて正面から向き合ったとき、彼は影が自分の一部であることを悟り受け入れ全き人となる。「影は自己認識へ、大人へ、光への旅の案内人なのです」(「夜の言葉」より)。
宮崎吾朗のインタビューによると、映画では悪役クモの仕業によって主人公の「心の光の部分」が切り離されて、光が肉体を追う影となってしまい、影は心の闇に支配されたアレンの実体と一つに戻ろうとして追いかけていたと説明されている。つまり、アレンの影こそが実は「心の光の存在」だった。テルーから「レバンネン、そうして命はずっと続いていくんだよ。」という言葉を聞かされ、闇に支配されていたアレンの心に「光」が戻る。
原作者は映画に対するコメントの中でアレンが分割した理由が不明確であることについて批判をしている。
アレンとゲドの関係
映画ではアレンが心の闇に支配されて国王(父)を殺害し国を出奔、そしてハイタカに出会って旅に同行するという展開になっているが、原作ではアレンは、エンラッドや諸国の異常を知らせるよう父に命じられて、ロークの大賢人たるゲドに会いに行き、そして2人で旅に出る流れになっている。
アレンの父殺し
アレンが国王である父親を殺すという設定は原作にはなく、映画オリジナルである。テルーが親から虐待されたという原作に準拠した設定ともあいまって、田を耕さずハジアを売ったり、人を売り買いする人が儲けたり等の均衡の崩れた世界を象徴している。世界の均衡を崩し、人の頭を変にする災いの力はアレンの身にも及んでいた。
劇中、アレンが父を刺したのと同じ構図で、アレンがハイタカに斬りかかるシーンもある。2度目のハイタカに斬りかかる方は、劇中はっきりとクモに操られていることが示される。
アレンの父殺しという設定のできた経緯は、書籍「ロマンアルバム ゲド戦記」のインタビューに詳しく記述されている。発案者はプロデューサーの鈴木で、主人公の旅立ちの理由を模索していた吾朗は、「この子は父を殺しちゃうんだよ」という鈴木の一言に初め驚いたそうだが、アレンのキャラクターに合うと思い取り入れた。脚本家の丹羽圭子のインタビューでは、当初アレンはおかしくなった父親に殺されそうになり国を飛び出す、というシノプシスがあったが、鈴木が「今の時代を考えると、息子が父を刺すほうがリアルだ」と発案し、吾朗が取り入れたと言う。
アレンの父殺しの理由は劇中はっきりとは説明されず曖昧だが、宮崎吾朗はインタビューで、「アレンは父を憎んでいたわけではなく、たぶん尊敬しており好きでもあったが、自分が陥っていた閉塞感やがんじがらめな気分を抑えきれなくなり暴走し、彼を取り巻く世界、社会の『象徴』である父親に抑えきれなくなった感情の矛先が向かった」という講釈をしている。
よく父である宮崎駿と宮崎吾朗の関係になぞらえられた推察がされるが、吾朗自身は「父さえいなければ、生きられると思った。」というキャッチコピーに対しても、自分のことではない、と否定している。
テルーの描写
映画ではテルーは火傷の跡こそ描かれているものの、基本的にジブリ作品におけるヒロインのデザインを踏襲したものとなっている。『シュナの旅』のヒロイン、テアにも似ている。ジブリの定石である少年と少女の物語にするため、原作では5 - 6歳(4巻)なのをアレンと見た目が同年代の少女に変更。火傷の位置は原作では右半身だが、映画では左の目から頬にかけて痣状にある。
原作では「顔の半分がケロイド化して目がつぶれている」とか「手が溶けて鉤爪のようになっている」など醜悪さを表現する描写が少なくない。また原作では炎によって喉も潰れており、「テルーの唄」のような歌を歌う事も出来ないとされる。
物語の世界
映画ではホート・タウンとその周辺で物語が進められるが、原作においてはゲドとアレンは辺境の島々から死後の世界まで、アースシーの世界を縦横に横断している。
原作では肌の黒い人間がマジョリティ、白い人間はカルガド圏出身のマイノリティである。しかし、映画ではハイタカの肌がやや黒い以外は誰の肌も褐色とはおよそ言えない。原作者は物語で肌の色が濃いのは邪悪さと結びつけられる因習に批判的なため、この肌の表現にこだわりを持ち、表紙の人物のデザインについて出版社と争うこともあり、ドラマ版製作者と対立したこともある。
アニメ作品では自然の物音の音源が厳密に選定されていないことが多く、例えば、真夏の都会の真ん中でスズムシマツムシが鳴いていたりする作品がしばしばあるが、本作では世界観に合わせて本物のヨーロッパイエコオロギの声がサンプリングされている。
物語の解決
原作では、誰か悪者を暴力で倒す事によって物語の解決を図ろうとはしていない。それに対して映画では、世界の均衡が崩れつつあるのも、竜が食い合うのも悪役クモが生死両方を分かつ扉を開けた影響とされ、その悪役クモを倒す事によって、共食いをしていた竜がラストシーンで仲睦まじく天空高く飛ぶようになる姿を描き、物語は解決を見せ、終わっている。アレンはすべてのいきさつを知る大賢人ゲドと共に国へ帰る[3]
本作品の映画の公式パンフレットに『ハイタカはクモという魔法使いが生死両方を分かつ扉を開け、それによって世界の均衡が崩れつつあることを探り出す』と記載されているとおり、世界の均衡を崩し、人々の頭をおかしくしているのは、クモである。しかし、劇中ではクモは敗れたのみで、世界の崩れた均衡の全てが解決したかどうかは明確ではない。また、クモの台詞の中に「均衡はすでに我ら人間の手によって破壊されつつある」とあるため、クモだけが災いの原因とは言えない可能性が大きい。
劇中、世界の均衡を唯一崩せる存在は「人間」であると暗に示されており、世界の均衡を崩しているのは、本来は自分たちの物ではない物まで欲する人間の強欲な働きである。クモが不死を欲した事は均衡を崩す強欲な人間の働きの代表であるといえよう。ハイタカも過去の教訓から、均衡を崩さぬよう魔法の使用を控えている。

原案『シュナの旅』との関係[]

本作品は、プロットや部分的な絵作りにおいて、原案としてクレジットされている宮崎駿作の『シュナの旅』からの翻案が多い。その主要なものは以下のとおりである。

プロット
ストーリーの前半で、主人公の少年は悪者に捕まったヒロインの少女を助ける。そしてストーリーのラストでは、心の闇に沈んでしまった主人公の少年が、ヒロインの少女によって心の光を取り戻す。これは本作品と『シュナの旅』に共通するプロット。
人狩り
人狩りに捕まって首輪を付けられているシーン。また、人買いの車から助けられた際に、同時に枷(かせ)をはずされた同乗の犠牲者達が、再び捕まるという恐怖のために動けないでいるシーンは『シュナの旅』とほぼ同一である。
旅の風景
物語の前半で出てくる「砂漠の上に打ち捨てられた巨大船」の風景、また「人々が捨てて去った村の家を覗き込むシーン」は『シュナの旅』と構図が全く同一である。
ヤックル
アレンの馬はシュナの愛畜ヤックルに酷似している。宮崎吾朗も「あれはヤックルみたいなものです」「もののけ姫ではなくシュナの旅を参考にした」とインタビューに答えている。ただし2本の角は製作過程で取ってしまった、と言っている。

テンプレート:ネタバレ終了

スタッフ[]

  • 原作:アーシュラ・K・ル=グウィン (『ゲド戦記』)
  • 原案:宮崎駿 (『シュナの旅』)
  • 監督:宮崎吾朗
  • 脚本:宮崎吾朗、丹羽圭子
  • 作画演出:山下明彦
  • 作画監督:稲村武志
  • 美術監督:武重洋二
  • 音楽:寺嶋民哉
  • 色彩設計:保田道世
  • デジタル作画監督:片塰満則
  • 映像演出:奥井敦
  • 録音演出:若林和弘
  • 整音:高木創
  • 効果:笠松広司
  • 整音監修:井上秀司
  • 編集:瀬山武司
  • プロデューサー:鈴木敏夫
  • 協賛:アサヒ飲料
  • 制作:スタジオジブリ
  • 制作進行:齋藤純也、石井朋彦、伊藤郷平、仲澤慎太郎、橋本綾
  • 協力:高井真一
  • 配給:東宝
  • 主題歌
    • 劇中挿入歌-『テルーの唄』(歌:手嶌葵、作詞:宮崎吾朗、作曲:谷山浩子、編曲:寺嶋民哉
      プロデューサーである鈴木敏夫に参考資料として手渡された、萩原朔太郎の詩「こころ」に着想を得た宮崎吾朗が作詞。
    • 主題歌 - 『時の歌』(歌:手嶌葵、作詞:宮崎吾朗・新居昭乃、作曲:新居昭乃・保刈久明(アルバム「ゲド戦記歌集」収録)

公開までの流れ[]

監督就任の経緯[]

監督の宮崎吾朗の父親である宮崎駿は「ゲド戦記」の古くからのファンであり、彼の作品は「ゲド戦記」から大きな影響を受けてきた。「風の谷のナウシカ」(1984年)を映画化する以前、彼は原作の出版元岩波書店に映画化を打診していたが、その当時原作者のル=グィンは自身の作品のアニメ化には消極的で、アニメとはディズニーのようなものだと見做しており、1990年代に再オファーするも、この時も原作者の許可は下りなかった。

2003年頃、「ゲド戦記」の訳者清水真砂子を通して、「となりのトトロ」などの宮崎作品に対し「ジブリ作品は、私の作品の方向性と同じ」と気に入ったル=グィンはジブリへ正式にアニメ映画化許可のオファーを出した。「監督は宮崎駿に」との要望だったが、宮崎駿は「ハウルの動く城」を製作中だったこと、および「これまでの自分の作品で既に『ゲド戦記』の要素を取り入れて作ってきたから、今更できない」として、監督を断った。

しかし、本作をジブリで映画化したかったプロデューサーの鈴木敏夫は、他のアニメスタッフではなく、当時ジブリ美術館の館長だった息子の宮崎吾朗を監督に起用することを画策した。発表当時のインタビューでは、「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め駿や高畑勲が高齢であるため」と述べ[4] 、後継を慮ったもの、またジブリ美術館の制作時の手腕を見ての起用だったとしている。

宮崎親子の確執[]

この作品については、宮崎親子に関する確執が公開前から取り沙汰されており、公開に至るまで親子間、又はジブリ内での紆余曲折が、しばしば話題にされた。

宮崎駿は、映画監督経験がない吾朗が監督に就く事に「あいつに監督ができるわけがないだろう。絵だって描けるはずがないし、もっと言えば、何も分かっていないやつなんだ」と言って猛反対した。このことは、2006年6月5日にタワーレコード渋谷で開催されたゲド戦記CD発売記念記者会でも鈴木が語っている。ここで鈴木は吾朗にイメージ画を描かせ、吾朗は「竜とアレンが向き合う絵」を描きあげた。これを見た駿は唸り黙ってしまったという。そして吾朗に何度も「お前、本当にやれるのか?」と3日に渡って何度も問いただしたが、それでも吾朗は監督をやると返答し続けた。そしてこの後、宮崎駿は息子と全く口を利かなくなってしまったという。

それでも息子の仕事の進行具合が気になっている様子を見かねた鈴木が、独身社員の出会いの場を建前に宮崎駿を含む本作品の製作スタッフを集め、すき焼きパーティーを催す。その席で本作品の出来具合を(古参の)女性スタッフに訊ねると「ミヤさん(宮崎)が引退した後、ローンの支払いをどうするか心配をしていたが杞憂だった」と言われ、「ふざけるな!」とヘソを曲げたという。[5]

2005年6月に鈴木と吾朗は原作者との打ち合わせのため渡米の予定をしていたところ、駿は「監督がスタジオを離れるな!」と一喝した。「じゃあミヤさんが来てくださいよ」と鈴木に促され、仕方なく駿と鈴木が渡米する。原作者と面会の場で、駿はスクリプトについては責任を持つということでル=グィンの了承を得た。しかし実際は、脚本・演出に駿はノータッチで制作は行われた。なおこの際に上記『竜とアレンが向き合う絵』をル=グィンに見せたが、駿は「これは間違っていますよね」と吾朗の解釈について批判した。そして、自分が昔書いた「ゲド戦記」などのスケッチを見せて自分が原作のファンだったことをアピールした。

その後もゲド戦記(と息子)に対する宮崎駿の執念と確執は燻り続け、2005年暮れになって鈴木の下へ現れた宮崎駿は「今からでも間に合うから吾郎を降板させて、俺に監督をさせろ」と言い出し、鈴木を困惑させる。その時の宮崎駿案によるプロットは老いて襤褸を纏ったゲドを基軸とする物語であった。作品が完成直前まで漕ぎ付けても息子・宮崎吾朗 に対する溝は埋まらず、「カリオストロの城」が公開当時に観客動員が奮わなかった上「監督一作目にしては良く出来ていた」などと評価された事に根強い恨みを持っていた宮崎駿は、「俺も同じように“監督一作目にしては良く出来ていた”と言ってやる」と息巻いていた。[5]

公開前より「行かない」と言っていた宮崎駿であったが、初号試写に現れ関係者を驚かせる。鈴木は「行かないと言ってたのに何故来たの? どうせ途中で帰るんでしょ」と忠告し、事実、駿はその通りに上映途中で煙草のために数分席を立って、「気持ちで映画を作っちゃいけない」と語った。その後試写室に戻り、試写の後「大人になってない、それだけ」と感想を述べた。 宮崎は初号を隣の席で共に見た色彩設計の保田道世に自身のアトリエで、「初めてにしてはよくやったっていうのは演出にとって侮辱だからね。この1本で世の中変えようと思ってやんなきゃいけないんだから。 変わりゃしないんだけれど。 変わらないけどそう思ってやるのがね、映画を作るってことだから」と話している。後に宮崎駿は本作品に対し、保田を通じて「素直に描けていて良かった」との感想を吾朗に伝えた[6][5]。なお、後のジブリ作品「コクリコ坂から」では吾朗の監督起用に駿は反対していない。

海外での反響[]

第63回ヴェネツィア国際映画祭で特別招待作品として上映。映画祭での上映に対する現地の評判は最低ランクで、スタジオジブリの評価を著しく下げた。「ウニタ」紙のダリオ・ゾンダは「平板なスタイル、創造性に欠けた絵で、それはリアリズムの上に成り立つファンタジーに供する想像を生み出すことを放棄している」、キャッスルロック.it[7]は「アニメーションはスムーズで、緻密なキャラクターデザインではあるけれども、吾朗の映画は父親の映画における創造性と物語性芸術の高みには達していない」と評した。

原作者のル=グウィンは試写会後、吾朗に感想を問われ「私の本ではない。吾朗の映画だ。」と述べた。その後、この発言を吾朗が無断でブログに紹介した[8]ことや、日本人ファンからのメールなどを受けて、映画に対する感想を公式に発表する[9]。ル=グウィンはこのコメントの中で、「絵は美しいが、急ごしらえで、『となりのトトロ』のような繊細さや『千と千尋の神隠し』のような力強い豊かなディテールがない」「物語のつじつまが合わない」「登場人物の行動が伴わないため、生と死、世界の均衡といった原作のメッセージが説教くさく感じる」などと記した。また、原作にはない、王子が父を殺すエピソードについても、「動機がなく、きまぐれ。人間の影の部分は魔法の剣で振り払えるようなものではない」と強い違和感を表明している[10]

北米での劇場公開

公開から4年後となる2010年8月13日より、ニューヨークやロサンゼルスなど都市部限定でPG13指定で公開となった[11]

国内での反響[]

多くの映画評論家は、この作品に厳しい評価をした。2006年度の最低映画との評価を、それぞれ独立した映画評論雑誌5誌から受けている。

週刊朝日」、「文藝春秋」、「週刊新潮」、「Premiere」、「ぴあ」、「スクリーン」、「キネマ旬報」等、国内の雑誌でも酷評されている。

2008年7月11日に日本テレビ金曜ロードショーで地上波初放送された。近年のジブリ作品の地上波初放送の視聴率は20~30%台がほとんどだが、本作品は16.4%(関東地区ビデオリサーチ)と低調だった。これは、翌週に放映された「となりのトトロ」(17.6%、関東地区・ビデオリサーチ)よりも低かった。

押井守は、「初監督でこれだけのものが普通の人に作れるだろうか? 合格点を与えていいだろう。次は本当の父殺しの映画を作るべきだ。」と評価した[12]

但し後述のように、この作品は「日本沈没」や「THE 有頂天ホテル」等を抑えこの年の邦画興行収入1位を記録しており、スタジオジブリのブランド性を肯定しかねた「ホーホケキョ となりの山田くん」(興行収入7.9億円)との比較や、本作同じく鳴り物入りで公開された「猫の恩返し」(興行収入64.6億円)を上回ったことなども踏まえると、ジブリ作品として大きな話題性を呼び、一定の成果も得られたといえる。

興行と受賞[]

公開2日間で観客動員約67万人、興行収入約9億円を記録した。配給の東宝は初動の結果を受け、興行収入100億円超を目標に掲げたが、9月に入ると約85億円に下方修正した。最終的にはそれをさらに下回る約76.5億円だったが、2006年邦画興行収入1位[13]となった。

  • 第30回日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞
  • 第3回文春きいちご賞 第1位
  • 第3回蛇いちご賞 作品賞
  • 映画芸術 2006年ワーストテン 第1位

挿入歌に対する批判と謝罪[]

諸君!」2006年11月号誌上において荒川洋治は、「作詞者宮崎吾朗氏への疑問」と題して劇中挿入歌である『テルーの唄』に対し、「萩原朔太郎の『こころ』に、ある範囲を超えて似すぎている」「参考資料として『こころ』を詞のもとにしたならば、原詩・萩原朔太郎、編詞・宮崎吾朗とでも表記するべきで、作詞・宮崎吾朗とすることにためらいはなかったのか」との批判を行った。

2006年10月21日、毎日新聞はこの件につき報道した。記事の中で三田誠広は、「盗作ではないがモラルの問題として謝辞を入れるべき」「シングルCD購入者はそうであるとは分からず、先行する芸術に尊敬が欠けている」旨述べた。

2006年10月24日、鈴木敏夫は「ゲド戦記」プロデューサーとしてこの件につき声明し、「表記について思慮不足だった」との旨を述べ謝罪した[14]

2007年7月4日、DVD及びVHSにて発売された本作品のスタッフロールに、「『テルーの唄』の歌詞は、萩原朔太郎の詩『こころ』に着想を得て作詞されました。」との表記が追加された。

原詩との関連についてオリジナルサウンドトラック、劇場用パンフレット、公式サイト、TV番組『ゲド戦記音図鑑~テルーの唄はこうして生まれた』等、映画に関係が深い媒体では『こころ』に着想を得て作詞された旨が解説されていたが、歌そのものの媒体であるシングルCDには解説がなく、劇場公開当時のスタッフロールにも表記が無かった。

本問題については「本歌取りオマージュであり、表記については問題がない」という見方がある。法律としては現在、『こころ』の著作権著作権の保護期間を満了し消滅している。

キャッチコピー[]

  • 「見えぬものこそ。」(糸井重里
  • 「父さえいなければ、生きられると思った。」
  • 「かつて人と竜はひとつだった。」

コマーシャル[]

本作品は、三ツ矢サイダーのコマーシャルにも起用されている。挿入歌の「テルーの唄」をバックに、テルーの声優の手嶌葵がアフレコをしている場面で、劇中のセリフを吹き込むというもの。

脚注[]

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 「WORKS OF ゲド戦記」(BNN刊)において
  2. 参考文献:ル=グウィンのエッセイ「夜の言葉」、第1作巻頭言「エアの創造」
  3. 参考文献:公式パンフレット
  4. "世界一早い「ゲド戦記」インタビュー 鈴木敏夫プロデューサーに聞く". yomiuri.co.jp. 2008-10-05 閲覧。
  5. 5.0 5.1 5.2 ABCアシッド映画館2006年放送、鈴木敏夫インタビューより要約
  6. 『プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル 宮崎 駿の仕事』 NHKエンタープライズ 2009年
  7. FantasyMagazine
  8. 番外編5 ル=グウィンさんの言葉
  9. 原文
    有志による邦訳文
  10. 朝日NET 2006年08月24日記事より抜粋
  11. 宮崎吾朗監督「ゲド戦記」 8月13日米国限定公開 アニメ!アニメ! 2010年8月1日
  12. FM東京『ジブリ汗まみれ』第7回
  13. eiren.org
  14. 「テルーの唄」の歌詞の表記の問題について

関連項目[]

  • クロード・ロラン - 背景絵を彼の作風をモデルに描いた。
    「ゲド戦記にはクロード・ロランの世界観が似合う」と宮崎駿がスタッフとの歓談のなか漏らした意見を、スタッフが採用した。

関連書籍[]

  • ニュータイプ編『アースシーの風に乗って~映画「ゲド戦記」完全ガイド』角川書店(2006年)
  • フィルムコミック1~4巻

外部リンク[]

ar:حكايات من أراضي البحار cs:Gedo senki el:Tales from Earthsea eo:Gedo Senki (filmo) fa:حکایت دریای زمین fi:Maameren tarinat (elokuva) id:Tales from Earthsea ko:게드 전기 - 어스시의 전설 nl:Tales From Earthsea no:Tales from Earthsea pl:Opowieści z Ziemiomorza (film) th:ศึกเทพมังกรพิภพสมุทร tl:Tales from Earthsea (film) tr:Yerdeniz Öyküleri (film, 2006)

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