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もののけ姫 | |
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監督 | 宮崎駿 |
脚本 | 宮崎駿 |
製作 |
氏家齊一郎 成田豊 |
製作総指揮 | 徳間康快 |
音楽 | 久石譲 |
主題歌 | 『もののけ姫』米良美一 |
撮影 | 奥井敦 |
編集 | 瀬山武司 |
配給 |
東宝 ミラマックス [[image:テンプレート:Country flag alias CAN|border|25x20px|テンプレート:Country alias CANの旗]]Alliance Films |
公開 |
1997年7月12日 1999年10月29日 [[image:テンプレート:Country flag alias CAN|border|25x20px|テンプレート:Country alias CANの旗]]1999年11月26日 [[image:テンプレート:Country flag alias GBR|border|25x20px|テンプレート:Country alias GBRの旗]]2001年10月19日 |
上映時間 | 133分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
興行収入 | 193億円 |
allcinema | |
キネマ旬報 | |
IMDb | |
もののけ姫とは、
- 1980年に宮崎駿がアニメ企画案のイメージボードとして構想した作品。1983年に『宮崎駿イメージボード集』に収録された。また、同イメージボードを基に、1993年に出版した絵本(『もののけ姫』。ISBN 4198600406。)。
- 宮崎駿によるスタジオジブリの長編アニメーション映画作品。1997年7月12日公開。本項で記述する。
概要[]
本作の世界観は、照葉樹林文化論の示唆を受けている[1]。「君が知っている日本じゃない。その前に別の日本があった」と示し、「従来の日本の心象が出来る前の日本」を浮かび上がらせようとする。参考となったのは中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』であり、日本文化の基底は稲や稲作農民ではないことが明らかとなった[2]。
中世研究(網野善彦の著作が代表的)によって、民俗学・考古学と合流した新しい中世史の体系が判明している。特筆すべきは、稲作農民に代表される平地の「定住民」とは全く別の生活圏を持つ「遍歴民(山民・海民・芸能民など)」が膨大に存在していた史実である。『もののけ姫』は、遍歴民の世界で展開される物語である。それは日本映画で初めて中世史をアウトサイダーの側から描くという、「時代劇の革命」を意図したものだった[3]。網野自身は本作を「ずいぶん勉強した上でつくられている」と評している[4]。
過去の作品の否定[]
宮崎駿には、過去の自分の作品を一度徹底的に否定しなければ、本音で語ることはできないという思いが強烈にあった。スタジオジブリ作品への世間の期待について話が及ぶと、宮崎は(例えば自然保護に熱心なジブリなどの)期待に応えようとしてはいけない、一回期待を持つと、その期待を変えようとしないと返答した[5]。
「生きる」というイメージ[]
宮崎駿は以下の通り述べている。 テンプレート:Squote
若者の意識[]
監督が言う「我々が直面している最大の課題」は、主人公アシタカの設定に集約されているという。今この世の中に生きている若者は、いわれのない、不条理な、肉体的にも精神的な意味も含めてババを引いてしまった人間達である。それは東アジア、アメリカやヨーロッパ、アフリカでも共通の運命である。その理由は、一人の人間が感じられる悲劇が、ローマ時代であろうと鎌倉時代であろうと同じ故である。人口が五百万人しか居なかった鎌倉時代の日本は、現代から見れば山紫水明、遥かに美しい所が多数存在したが、人間が悲惨の極みであったため、鎌倉仏教のような宗教が生まれてきた。破局の規模が大きいから悲劇が大きいというのは嘘で、一つの村が滅びることが、その人間にとっては全世界が滅びることに等しい、そういう意味を持った時代がある。その意味では人間が感じられる絶望も、その苦痛も量は等しい。恐らくそれは、歴史の様々な場所で感じ取られてきた。「ただ何となくスケールが大きいからね、こりゃ本当のドン詰まりと思っているだけで。でもそれが本当にドン詰まりなのかというと、そうは簡単に行かないことも、歴史は証明してるから」[6]。
浦谷年良はこの発言を以下のようにまとめている。現代の若者達は、意識の奥でみんなババを引いてしまったと感じている。自分は悪くないのに、何故か傷付けられていると感じている。マイナスの磁場のようなものを抱えている。その「心の空洞」に向かって「明るく元気に生きよう」「貧しさから抜け出して豊かになろう」と言っても通じない。こうした絶望、閉塞感を大きな歴史認識の中で捉え、考え直すことで「不条理な運命の中で生きる」ことを模索し、提示していく[5]。
興行成績[]
リピーター観賞が続出し、翌1998年の春先までロングラン上映を実施した映画館も有ったことで、20世紀の日本映画歴代興行収入第1位となった。また、この作品の主題歌を歌う米良美一は、男性でありながら女性のような高い声で歌うカウンターテナーが話題になり、この作品にて一般に広く認知されるようになった。
なお、スタジオジブリが1996年にウォルト・ディズニー・カンパニー(WDC)並びに日本法人のウォルト・ディズニー・ジャパン(WDCJ)の間で国内でのビデオソフト(「ジブリがいっぱいCOLLECTION」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結した事に伴い、WDC(「ディズニー」表記)から初めて出資を受けた作品である。このため「耳をすませば」迄の【発売元:徳間書店・販売元:徳間ジャパン】ではなく、WDCJのビデオソフト部門の「ブエナビスタ・ホームエンタテインメント ジャパン(現:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント ジャパン)」になった。但し、レーザーディスク版のビデオソフトについては徳間からの発売・販売となった。
こうして本作のビデオは既に『アラジン』などで日本市場に大きな勢力を築いていたウォルト・ディズニー・ジャパンの流通ルートで販売された。また、アジアを除く全世界でWDC子会社のミラマックスが配給し、ブエナビスタ・ホームエンタテインメントからビデオ発売をした。本作以降、ジブリはWDC並びにWDCJと親密になっていく。
映画のレイティングシステムは、日本(映倫)では「一般」に指定されているが、アメリカ (MPAA) では「PG-13」に指定された。
声優は『平成狸合戦ぽんぽこ』のおキヨの石田ゆり子、『紅の豚』のマンマユート・ボスの上條恒彦、『風の谷のナウシカ』のナウシカの島本須美とアスベルの松田洋治と言った過去のジブリ作品にも出演した者が起用されている。
テンプレート:ネタバレ
物語の構成[]
あらすじ[]
エミシの隠れ里に住む少年アシタカは、村を襲った「タタリガミ」に死の呪いをかけられる。ただ死を待つより、己の運命を見定めるため、はるか西方の地を目指して旅立つ。
そこでアシタカが見たものは、森を切り拓いて鉄を作るタタラの民とその長エボシ御前、森を守る山犬一族、そして山犬として生きる人間の少女サンであった。アシタカはその狭間で、自分が呪われた理由を知る。やがて、森を守ろうとするもののけたちと、もののけの長「シシ神」を殺そうとする人間の壮絶な戦いが始まる。
主題[]
宮崎監督曰く、この映画にはやりたくて溜めてきた素材が三つも四つも入っている。絵コンテを読むと、エンターテイメント作品には通常不向きと思われる現代の厳しい課題が詰め込まれている。浦谷年良が整理すると、五つになる。
- 子供たちの心の空洞
- 至る所に起こる差別
- 人間と自然との関わり
- 人間の憎悪の増幅作用、殺戮へ突き進む闘争本能
- 神秘主義と合理主義の対立
問題が沢山入りすぎていてハラハラしますねと浦谷が水を向けると、監督は以下の通り語った。「解決不能な問題ですよね。今までの映画は、解決可能な小課題を作って、取り合えず今日はそれを超えたと、それをひとつのセオリーにしてきたんですけどね。それが映画の枠内だと。それでやると、現代で僕らがぶつかっている問題とは拮抗しないという結論が出たんじゃないかなぁ」[7]。
主人公の動機[]
監督の論では、日本の通俗アニメーションを腐らせている一つに「動機の喪失」がある。例えば、監督が以前チベット民話「犬になった王子」に触発されて描いた『シュナの旅』である。ヤックルに乗る主人公シュナは、自国を貧困から掬う穀物の種、「金色の種」を求め旅に出る。この旅の動機は崇高だが、貧乏というリアリティが無い中では「胡散臭い」ものでしかない。アシタカの旅には、観客が共感できる動機が必要だった。即ち「理不尽にも傷付けられ、呪われたと自覚した少年が、その呪いを癒す鍵を探して旅をする」ことである。
更には、アシタカは自発的にではなく、村を追い出されてやむなく旅に出る。それは受難のヒーローというより、ヒーローであることを裏切り続ける存在である。そしてヒロインのサンもまた、傷付いた、自分を醜いと思っているアンチヒロインである。同じ物語を辿りながら、通常の主役であることを徹底的に裏返しにしていく[8]。
観客の予想の破壊[]
物語の図式は森と人界の対立。乙事主たちとエボシたちが激突する、ここまでは観客の予想図式と一致する。普通の映画ではこれで全部辻褄が合う、ただの宿命の対決となる。ここで予想を破壊する、宿命も何も無い、もっと暴力的な図式を提示する。乙事主たちとエボシたちがぶつかる、そのエボシたちの後ろから侍たちの大きな勢力が加わっている。更にそれが進行した形態として、侍たちが突出してエボシたちを飲み込み、乙事主たちと直接ぶつかっている図が描かれる。
アシタカが事態に気が付いたときには、既にこの図式のようになっており、何故こんなことが起こったのだろう、という形で事態が転化していく。それはその中で翻弄されるアシタカの心境であり、それは観客と同じ次元になる。事件に気が付き、発生した順番の逆から出会って行くのが現代であるためである[9]。
登場人物[]
従来の日本人像と実像[]
武士が農民を虐げるという、黒澤明の『七人の侍』における構図は、戦後直後の都市労働者(浪人・侍)と、闇の食料を買わなくて済む農家(百姓)という状況で迫真性を発揮し、「侍と百姓」の心象を硬直させた。しかし、それは本来の歴史ではない。むしろ農民はもっと強い、自分達で武装する存在だった。それ以外にも従来の日本の心象は真実からかけ離れている。そういった束縛から逃れ、新しい枠組みを持つ時代劇を目指した結果、武士や農民が表舞台に出てこない物語に着地した[10]。
この映画が依拠するところには中世の『一遍聖絵』や『職人歌合』があり、物語の焦点は武士と農民以外の人々にある。それはかつての日本の正史には登場しない、「虐げられた者」「忘れられた日本人」である。大和との戦に破れたエミシ一族の末裔、人間に捨てられ山犬に育てられた娘、農民や武士と度々対立したタタラ者、不治の病とされた業病に罹った者、本来聖なる仕事を引き受けていた中世の非人、山伏、貧しさ故に売られた娘、地走り(ジバシリ)と呼ばれている山の狩人が、エボシ率いるタタラ場に集中する[11]。
- アシタカ(アシタカヒコ)
- 主人公。17歳[12]。一人称は「私」。ヤマト(大和)に追われ東の山里に隠れ住むエミシ(蝦夷)の末裔。ヤックルという名のアカシシに跨り、弓矢を巧みに操る勇猛な若者である。激しい情熱を内に秘め、言動に迷いや葛藤がない。次期一族の長と見なされていたが、タタリガミ(祟り神)の襲撃から故郷の里を守った際に死の呪いをかけられる。掟に従い髷(まげ)を切り村との決別を果たした為、再び村に戻ることは出来ない身となった。髷を切る場面は、もはや人間でなくなることを意味している。故に誰も見送らず、密やかに村を出て行かなくてはならなかった。そんな自分を見送るカヤとの別離では、彼女の感極まった心を察し、永久の別れになることを覚悟しつつ、むしろ明るく自分の運命を見極めようとし「私はいつもカヤを思おう」と、未練を残さないように言い切った[13]。右腕には呪いの印である痣が浮き出ており、時にタタリヘビとして顕現する。これは「タタリ神より受けた呪いが蛇状に変化したもの。アシタカに爆発的な力を与えるが、かわりに少しずつ命を奪っていく」という[14]。呪いによりアシタカが射る矢は凄まじい速力で飛び、一撃で武士の両腕をも斬り飛ばす。この場面では悪魔的な力の暗示故、命中する寸前に矢が二本になっている[15]。
- 今までのジブリの主人公とは異なり、守るべき何かが無い。お前は要らない、居なくてもいいと言われている。活躍しても、別段褒め称えられない。しかも、それは悪事を働いた結果ではなく、正しい行いをしてそうなった。それは現代の若者の共通の運命であるという[16]。また、現実における多くの事態のように、アシタカは事件の生起する瞬間に立ち会うのではなく、自分が遭遇する事件結果から、徐々に事件が見えてくる[9]。アシタカはこのタタラ場が、エボシが率いてやってきたことが自分の痣を生む源だったことを知る。同時に、それはタタラ場の女達にとってはこの世で最も大切なことである。アシタカは簡単には解けない矛盾に遭遇した。彼が女達に「辛いか」と尋ねたのも、これがもし本当に辛いだけの働く場所であれば、彼にとっては問題が楽だったためである。だが、女達にとってタタラ場は物凄く辛いが一番良い所であるという二面性にぶつかり、やはり自分はここには居られないと思った。思うと同時に、その前には業病患者達の病院を見ており、否定も肯定も出来ず、問題の複雑さに沈潜した[17]。そしてエボシとサンの対決を前に覚悟を定め、タタリ(憎悪)に翻弄されていた身を制御出来るようになる。アシタカは、嫌味になるかもしれないが何処までも涼やかに、憎悪に身を委ねるなと叫ぶ[18]。
- ナゴの守
- 乙事主の一族の猪。タタリガミとなって発する「神の怒りの声」は、感情というよりも言葉全体が恨みの塊になって、取り付く島が無い[19]。エボシに撃たれ、体に残る石火矢の弾による苦痛と、自分が守る森を奪われたことへの怨念から狂い、タタリガミとなり東へ逃げた。エミシの村を襲いアシタカに討たれるが、同時に死の呪いをかける。
- カヤ
- エミシの村の娘。アシタカを兄様と呼ぶが、エミシ村のように小さな村では、自分より年上の人間達は皆兄様や姉様ということになる。アシタカの嫁になるつもりであり、そのように周りが認めた娘だった。玉(黒曜石)の小刀は恋人へ自分の印として渡すものであり、アシタカに渡すと自分の小刀を失くしてしまうことになる。アシタカとの別離では、自分が慕っている、しかも自分の命を救ってくれたために呪いを受けて村を出て行く、そのアシタカをもう二度と逢えないだろうという心情で見送る[13]。
- ヒイ様
- エミシの村の老巫女。村をまとめている[20]。物事を察知する直観力と知恵を持ち、卑弥呼に相似している。卑弥呼は錯乱的な年配の女性と思われることが多いが、沖縄の女性達が神事を男を排除して行っている点に目を向けると、賢く陽気であり、大らかな気分を持っているという。どこか雅なところがあり明るく、それでいて物事を真っ直ぐ見据え、お前は死ぬ運命だと明言する[21]。
- サン
- もののけ姫。15歳[12]。生まれて間もない頃、山犬モロの牙から逃れようとした人間に投げて寄越され、森の中でモロに育てられた。激しい気性の娘で、人擦れしておらず、世間の言い様とは無関係に育ってきた人間。山犬の立場では負けが続いている。母親は傷付き、このままでは自分達の一族は敗れるのが当然で、しかもサンは純粋な山犬ではない。サン自身は必死になっていて、拮抗しているつもりでも客観的には非常に哀れな存在になっている。そこで人間に助けられて、恩義など全く感じず屈辱で逆上する。山犬になりたい、山犬が一番美しく人間(自分)は醜いと思っており、アシタカに美しいと言われて困惑する[22]。
- シシ神の森を破壊する人間を激しく憎み、その元凶であるエボシの抹殺を狙っている。土面を被り、槍や短剣を扱う。エボシと同じく、内に夜叉が居るとアシタカに示される。人間離れした身体能力をもち、特に嗅覚は山犬並み、言葉は喋るが感情が高ぶると唸り声を出す。名前は、1980年に宮崎駿がアニメ企画案として構想した作品のヒロインが「三の姫」(三番目の姫)だったことに由来する[23] 。
- モロの君
- 山の神、狼(大神)。サンの育ての親で、白い体毛と二又の尾を持つ。自然の側に寄り添う正義の味方ではない。凶暴さと優しさ、生と死の両方を持っている。裏側が不動明王である観世音菩薩のように、相手によっては悪魔よりも悪魔になり、慈悲深い観世音にもなる[24]。サンへ明け透けに、お前(人間)は醜いと言う母親[22]。乙事主は馬鹿な争いをやり、煩悩や妄念が残っているためにタタリ神になった。モロは怨霊になってもエボシを噛み砕こうと思っているが、タタリ神のように、無差別に何もかもそこら中を巻き込むものにはならない[25]。
- エボシ曰く不死身で、石火矢の直撃を受け全身が炎に包まれ、谷に落ちてもまだ動ける生命力を持つ。森を破壊するエボシを激しく憎み、命を狙っている。最後はシシ神に生命を吸われるが、首だけが動きエボシの右腕を食い千切った。
- 山犬
- モロの二頭の子供。母親に比べると体はより白くて小さく、尾は一本で、言葉数が少ない。サンを背に乗せて疾走する。
- エボシ御前
- タタラ場の長であり、辛苦の過去から抜け出した女。海外に売られ、倭寇の頭目の妻となり、頭角を現し、ついに頭目を殺し、その金品を持って故郷に戻ってきた。このとき海外(明)で最新式の武器「石火矢」を手に入れ、日本に持ち込んだ。侍の支配から自由な、強大な自分の理想の国を作ろうと考えている。シシ神の森は誰の領地でもなく、シシ神に属している。その地を手に入れ、刃向かう猪神や山犬を退治すれば、ただの製鉄民ではない権力を手に入れ得る場所にいる。製鉄所(タタラ場)に来る以前に、京の都で天皇周辺の人物達と交流を作った[26]。また、タタラ場を世俗とは「無縁」で暮らせる場所にしつつあった。タタラ場は革命家(エボシ)の聖域なのである[11]。この映画で唯一、自然界にとっての悪魔であり、魂の救済を求めていない、つまり「近代人」である[27]。
- 度々森林を切り開いてきた経緯から、そこに住んでいる生き物の憎悪の対象とされている。身売りされた女達や業病(ハンセン病)に罹った人々をタタラ場で庇護し仕事を与えたため、タタラ場の民からは深く慕われている。一方でシシ神狩りの際には、タタラ場の人束に大きな犠牲を出す策を受け入れる。サンとの戦いでは長剣や短剣を使い戦ったが、アシタカに止められ、サンと同じく内に夜叉が居ることを示された。「もののけ姫はこうして生まれた」によると、最後は死ぬ案もあった。
- ゴンザ
- エボシの側近。エボシが夫(倭寇の頭目)を殺して故郷に戻ったとき、付いて来た唯一の配下[26]。石火矢だけでなく、身の丈ほどもある大太刀を扱いこなす巨漢。余所者に対して威張っている。元海賊だが泳げない。
- ジコ坊
- 謎の組織「師匠連」からの使者。師匠連の兵(唐傘連)の総帥でもあり、非人の頭らしい存在。非人とは、中世では神人(神の直属民)や、供御人(くごにん、天皇の直属民)を指す。全国の情報を集め、裏側の商売に徹している。エボシのもたらした石火矢を配下に仕込んで、エボシのタタラ経営に加担した。つまり傭兵の口入れ屋だが、本命はシシ神の首である。エボシが独自の(女たちの)石火矢隊を組織したことに危機感がある。乙事主が勢力を結集したことを好機として、森がタタラ場を攻撃している間に、天皇の書状と情報網で集めたジバシリ、悪党達、自分の配下を組織して一挙にシシ神を殺そうと図る[26]。
- 劇中に柿色の衣を着た人々が登場するが、中世では神人・供御人と呼ばれる人々は、柿色や黄色の衣を着て一般平民と区別されていた。また、ジコ坊がシシ神殺しのため天皇のお墨付きを持ってくることは、例えば古い大木を切る際、宗教的権威である天皇家から勅許を受けて切れば、タタリがあったとしても天皇家に行く、という行為による[11]。アシタカとは物語序盤に地侍の争いに巻き込まれていたところを助けられて知り合いになる。彼とシシ神の首を巡る動乱で対立した際、「あなたを殺したくはない」と言われるも蹴りで襲い掛かる。
- ジバシリ(地走り)
- 森について熟知している凄腕の猟師たち。獣の皮や血で擬装する、投石器を扱うなどの特殊な技術を持つ。
- シシ神(デイダラボッチ)
- 太古の森深くに住まうもののけたちの長。生と死を司る神。昼間は立派な角を持った鹿のような姿だが、夜はデイダラボッチと呼ばれる巨人へと姿を変える。体にある渦巻き模様は原始的と言われる民族が多く持っており、縄文時代やケルトもそれに類する。生命の循環や水の渦のようなイメージから蔓草が現れ続々と伸びていく、螺旋や渦は生命である、という世界の捉え方をしていた民族がいずれも模様に取り込んだ。
- 破壊が撒き散らされる中、首を返されたシシ神が倒れると、山は芝生や小さな灌木で覆われた禿山となった。ともあれ緑があれば「ああ甦った」と思う人は多いが、芝生は生態系で最低にある[28]。
- 乙事主(おっことぬし)
- 鎮西に住む齢500歳の猪の長。白い巨大な猪。盲目。モロの君とは旧知の間柄で良い仲だったが、百年ほど前に別れた[29]。森を焼き、ナゴの守をタタリガミに変えた原因であるエボシを激しく憎み、一族総出で人間を討つために出陣する。モロの一族とは対立しているが、森を侵す人間を憎んでいる点では合意を見る。一族が矮小化し馬鹿になっていく状況を憂いている。戦に負け、部下が全部死んでしまったが、自身は神であり、死ねない。するとシシ神の池を目指して敗走する中、死んだはずの一族が幽霊のような戦士達として現れ、狂王と化す。全体にリア王の立場がある[30]。
- 猩々
- シシ神の森に住む猿。夜になると森を元に戻そうと木を植えに来る。
- 甲六
- タタラ場に住む牛飼いの一人。米を運んでタタラ場に戻る途中、モロの一族の襲撃に会い谷底に転落して負傷し、偶然通りがかったアシタカに助けられる。善良なお調子者で、トキに叱られてばかりいる。アシタカを「旦那」と呼び慕う。
- トキ
- 甲六の女房。威勢のいいしっかり者で、夫を尻に敷いている。その威勢の良さは、周りの者を従えているゴンザすら黙らせる。アシタカに温かく接する優しさも持つ。
- 牛飼いの長
- 甲六の上司。牛飼い達を纏める統率力を持つ。
- 病者の長
- タタラ場の外れにあるエボシの庭で、石火矢を造る同病の患者にも介護されながら、己の「それでも私は生きたい」という業をアシタカに吐く。
- キヨ
- タタラ場の女たちの1人で、夫を山犬に食い殺された。石火矢を誤射し、アシタカに重傷を負わせる。
- コダマ(木霊)
- 樹の精。その数の多さは森林の豊かさの証。
世界設定[]
エミシの村[]
かつて大和朝廷の支配に抵抗し、追われた人々。祭事の衣装や東北のマタギに似たアシタカの衣装、彼の使う「雅な椀」、娘の装束など、縄文時代の文化にブータンや北タイの焼き畑圏など照葉樹林文化圏の物が混ざった文化を形成している[31]。「東と北の間」の山奥に潜み、ひっそりと雑穀を栽培しアカシシを飼育して暮らしている。
東北に居たエミシ(蝦夷)を宮崎駿は、大和政権に追われて東北の山中に隠れ住んでいた最後のエミシ、純血種の生き残りと判断している。村をまとめているのは、占いで物事を決めていくという女性(ヒイ様)である。神社の中で拝んでいるのは岩倉(岩の壁)、御神体である岩の塊である。カヤが抜いた、刀身が直線的で先が尖っている刀は蕨手刀という。柄の方には輪が付いている。東北地方だけで八世紀ほどまで作られていた。生活雑器だが武器にもなり、坂上田村麻呂と戦ったエミシの軍勢はそのような刀を持っていたと考えられている[32]。
石火矢[]
劇中の石火矢は、明時代の火槍が発想の源。火槍は火縄銃より以前に応仁の乱の頃、一度日本に入ってきて使われていた。だが、大した威力が無かったため途絶えた。中国、ヨーロッパのハンドカノンは、銃のように小脇に抱えると点火が出来ないため、肩に載せて撃っていた。点火から発射までの時間が非常に長く、まともに命中しない。このような武器は、相手が群がって来る時に脅しをかけたり、ばら撒き弾を撃つものだったが、同時に銃身も破裂して本人も死ぬことが甚だ多かったという程度だった。
それをエボシが改良した石火矢は少し火縄銃のようになっているが、まだ付け火のような棒で火を付けており、火縄銃のようにはいかない。火縄は硝酸を木綿の組み紐に染み込ませてあるもので、火を点けると灯っていき、ゆっくり燃える。それを瞬間的に吹くと、また少し火勢が強くなる。よって火縄銃を撃つ時は、構えてから息を急に吹き掛け、火縄を挟み込み、火蓋を開けて引き金を引くと火縄挟みが落ち、弾が発射される。その段階に到達していないため、代わりに後ろから元込め、つまり後装になっている。弾と火薬が入っているものをそのまま入れて撃つことにより、先から弾を込めなくて済むようになっている。そのような後ろから弾丸を込める仕組みは、古い大砲にあったものである。弾丸が入った部品に火薬を入れ、砲身に入れる。そして木の楔を打ち込み、点火して撃ち、楔を抜いてこれを引き出し、次弾を装填する[33]。
国くずし[]
エボシが使う「国くずし」という言葉だが、奥村正二著『火縄銃から黒船まで』によれば、「天正年間に大友宗麟は南蛮船から火砲数門を買い、これを「国くずし」と名づけて実践に使っている」とある[33]。
非人[]
非人は中世では柿色の衣を着た人々で、一般平民とは区別されている。神人・供御人とも呼ばれる。非人に関連して浦谷年良は、宮崎駿が尊敬する作家、堀田善衛の『定家明月記私抄』を引用している。「元来天皇家というものが、これらの遊女、白拍子、舞人、猿楽、さらには武芸を事とする武人などの芸能民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』等の『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」[11]。
着物[]
製作時にはヤックルの走りの分解図、カヤ達エミシの村の娘達の衣装、アシタカが扱うエミシの矢の形(鏃は黒曜石で三枚羽)など、細かい指定が大量に書かれていた。中でも特徴的なのが「帯の位置」である。着物の常識が失われているため帯の位置は高くなっているが、本来はへそ下であると注意書きがされていた。一方、その下には「これは『七人の侍』の三船敏郎以来の結び方、アシタカだけに使う」とあった。これは主人公アシタカの「現代の若者性」「若さと未熟さ」といった暗示であるのか、と意味を問われた宮崎駿は「三船のあれは、子供だってことでしょ」と答えている。市場を行き交う人々や、特に、成熟した大人として描かれるジコ坊の帯の位置は低い[34]。
物語のその後[]
アシタカとサンは、その後も良い関係を続けていく。アシタカは引き裂かれ、傷だらけになりながらも、サンやタタラ場のために努力し、それを曲げずに生きていく人物であるという[35]。
テンプレート:ネタバレ終了
声の出演[]
キャラクター | 日本語版 | 英語版 |
---|---|---|
アシタカ | 松田洋治 | ビリー・クラダップ |
サン | 石田ゆり子 | クレア・デインズ |
エボシ御前 | 田中裕子 | ミニー・ドライヴァー |
ジコ坊 | 小林薫 | ビリー・ボブ・ソーントン |
モロの君 | 美輪明宏 | ジリアン・アンダーソン |
乙事主 | 森繁久彌 | キース・デヴィッド |
カヤ | 石田ゆり子 | タラ・ストロング |
甲六 | 西村雅彦 | ジョン・デミータ |
ゴンザ | 上條恒彦 | ジョン・ディマジオ |
トキ | 島本須美 | ジェイダ・ピンケット=スミス |
山犬 | 渡辺哲 | ? |
ヒイさま | 森光子 | ? |
ナゴの守 | 佐藤允 | ? |
牛飼いの長 | 名古屋章 | ? |
病者の長 | 飯沼慧 | ? |
キヨ | 香月弥生 | ? |
ジバシリ | 冷泉公裕 | ? |
牛飼い | 近藤芳正 坂本あきら 斉藤志郎 菅原大吉 冷泉公裕 |
? |
たたら場の女 | 藤貴子 山本郁子 |
トレス・マクニール サリー・リン デニース・ポワリエ |
エミシの少女A | 島本須美 | ? |
エミシの少女B | 飯沼希歩 | ? |
ナレーター | キース・デヴィッド | |
その他 | 塚本景子 中村彰男 山本郁子 松山鷹志 小林和矢 松田健浩 藤巻直哉 深澤幸太 |
パメラ・アドロン ルイス・アークェット コーリー・バートン デビ・デリーベリー アレックス・フェルナンデス ジャック・フレッチャー パット・フラリー ジョン・ホステッター ジョン・ラフター・リー マッタ・マッケンジー マイケル・マクシェーン マット・K・ミラー マーニー・モジマン アダム・ポール デヴィッド・ラズナー ドワイト・シュルツ |
スタッフ[]
- 原作・脚本・監督:宮崎駿
- 作画監督:安藤雅司、高坂希太郎、近藤喜文
- 原画:大塚伸治、篠原征子、森友典子、賀川愛、小西賢一、遠藤正明、清水洋、栗田務、三原三千雄(現、三原三千夫)、大谷敦子、稲村武志、芳尾英明、二木真希子、山田憲一、笹木信作、山森英司、吉田健一、松瀬勝、桑名郁朗、松尾真理子、河口俊夫、野田武広、杉野佐秩子、近藤勝也、金田伊功
- テレコム・アニメーションフィルム 田中敦子
- 動画チェック:舘野仁美、中村勝利、斎藤昌哉、中込利恵、小野田和由
- 動画:手島晶子、大村まゆみ、北島由美子、真野鈴子、坂野方子、柴田和子、倉田美鈴、沢九里、鈴木麻紀子、鈴木まり子、菊地華、鶴岡耕次郎、田村篤、野口美律、藤井香織、米林宏昌、矢地久子、山田珠美、川田学、佐光幸恵、アレキサンドラ・ワエラウフ、ダビット・エンシスナ、東誠子、山浦由加里、西戸スミエ、横田喜代子、富沢恵子、コマサ、土岐弥生、柴田絵理子、長嶋陽子、椎名律子、岩柳恵美子、藤森まや、近藤梨恵、常木志伸、西河広美、渡辺恵子、谷平久美子、矢野守彦、古谷浩美、安達昌彦、山本まゆみ、中山大介、田辺正恵、新留理恵、松下敦子、太田久美子、清水理枝、林良恵、小林幸子、手塚寛子、原口ちはる
- テレコム・アニメーションフィルム
- 飯盛夏子、渡邊奈津子、矢沢真由、東樹葉子、中路景子、毛利志乃舞、小高雅子、上田峰子、板垣伸、安留博子、富野昌江、式部美代子、与沢桂子、平井和子、藤倉雅代、宇田明彦
- テレコム・アニメーションフィルム
- 作画協力:アニメトロトロ、OH!プロダクション、スタジオコクピット、スタジオたくらんけ、グループどんぐり
- 美術:山本二三、田中直哉、武重洋二、黒田聡、男鹿和雄
- 背景:吉田昇、春日井直美、長縄恭子、斉藤久恵、伊奈淳子、平原さやか、荒井貞幸、太田清美、谷口淳一、長田晶子、佐々木洋明、田村盛揮
- 特殊美術:福留嘉一
- 特殊効果:谷藤薫児、橋爪朋二、村上正博、榊原豊彦、谷口久美子
- CG:菅野嘉則、百瀬義行、片塰満則、井上雅史
- 色彩設計:保田道世
- 色指定:井関真代、森奈緒美、守屋加奈子
- 仕上:小野暁子、熱田尚美、鍋田富美子、野村雪絵、山田和子、鈴木栄一、片山由里子
- スタジオキリー
- 岩切当志子、高橋直美、宮本智恵美、清水まり子、森沢千代美、渡辺信子、平林和広、谷島香、石川香織、土屋裕美、工藤百合子、原井智恵、児玉淳、浦山和恵、平良ふみ子、泰野君子、石黒静、吉田美夜子、高木小百合、後藤恵子、大隈昌子、佐々木恵子、角田和子、中釜かおる トレスマシン 柚木脇涼己
- IMスタジオ
- 伊勢田美代子、尾崎美人、鉢田恒、浅井より子、西村豊美、森田薫、安味香織、大内一美、木村裕美子、天満友美、佐藤けい子、赤沼茂子、前原絹代、船崎幸子、板原多恵、小林一夫
- トレーススタジオM
- 安斉直美、相原明子、杉山和歌子、金内順子、醍起玲子、本橋恵美子、松尾めぐみ、大城ひろ子
- 東映動画
- 黒沢和子、奥西紀代美、坂野園江、入江三瓶子、五十嵐令子、古屋純子、藤橋清美、戸塚友子
- テレコム・アニメーションフィルム
- 山本智子、人位万里、長崎さゆり、太田真弥子、石川恵里子、西脇好美、宮川淳子、長岡純子
- スタジオOM青森ワークス、アニメハウス、はだしぷろ、ピーコック、ムッシュオニオン、スタジオOZ、スタジオアド
- スタジオキリー
- デジタルペイント:石井裕章、佐藤麻希子、杉野亮、服部圭一郎
- 高橋プロダクション/T2Studio
- 高橋加奈子、石堂めぐみ、村田ゆき、下江由美子、恒田由紀子
- DR MOVIE、T&V
- 高橋プロダクション/T2Studio
- 録音演出:若林和弘
- 録音演出助手:真山恵衣
- 整音:井上秀司
- 編集:瀬山武司
- 編集助手:水田経子、内田恵、田村眞子
- 撮影監督:奥井敦
- 撮影:藪田順二、高橋わたる、古城環
- 音楽:久石譲
- 音楽制作:ワンダーシティ、スタジオジブリ
- 録音:東京テレビセンター
- 音響制作:オムニバスプロモーション
- 録音スタジオ(音楽):ワンダーステーション、アバコクリエイティブスタジオ
- 録音スタジオ(台詞):MITスタジオ、アバコクリエイティブスタジオ
- 効果:伊藤道廣
- 効果助手:石野貴久
- 効果協力:VOX 猪飼和彦、渡辺基、時田滋
- 効果制作:サウンドリング
- 監督助手:伊藤裕之
- 演出助手:有冨興二、石曽良正徳
- 制作担当:川端俊之
- 制作進行:大塚浩二、居村健治、鈴木健一郎
- 制作デスク:田中千義、西炯共昭
- プロデューサー:鈴木敏夫
- 制作:スタジオジブリ
- 英語版演出:ジャック・フレッチャー
- 配給:東宝
- 時間:133分
主題歌[]
- 「もののけ姫」
- 作詞:宮崎駿/作曲:久石譲
- 歌:米良美一
興行と賞歴[]
興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった。2007年現在も、千と千尋の神隠し(1位)・ハウルの動く城(2位)・もののけ姫(3位)と、日本国内の興行収入歴代記録第3位を維持している。洋画を含めても第5位である。
日本国内におけるDVDとVHSを合わせたビデオグラム出荷本数は2007年5月時点で440万本[36]。
1999年1月22日に金曜ロードショーで初のTV放送がされ関東地区で35.1%、西日本地区で40.8%の視聴率を記録した[37]。
香港での興行収入は654万香港ドル[37]、全米では1000万ドル[37]。
- 第1回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞
- 第52回毎日映画コンクール日本映画大賞
- 第21回日本アカデミー賞最優秀作品賞
- 朝日デジタルエンターテイメント大賞・シアター部門賞
- アニメーション神戸'97・部門賞(演出部門)、部門賞(デジタル技術部門)、アワード(劇場映画の部)
- マルチメディアグランプリ'97・MMCA特別賞
- 第15回ゴールデングロス賞・最優秀金賞、特別功労大賞
- 報知映画賞・特別賞
- 日刊スポーツ映画大賞・監督賞
- 石原裕次郎賞
- 第39回毎日芸術賞・映像・映画部門
- エランドール賞・特別賞
- 日本映画ペンクラブ・97年度ベスト5日本映画部門1位
- ブルーリボン賞・特別賞
- おおさか映画祭・特別賞
- 高崎映画祭・最優秀監督賞
- 映画鑑賞団体全国連絡会議・日本映画作品賞
- 文化庁優秀映画・優秀映画作品賞
- 読売映画・演劇広告賞 優秀賞
- 日経優秀製品・サービス賞、最優秀賞、日本経済新聞賞
- 第39回日本レコード大賞・作曲賞、アルバム企画賞(サントラ)
- 日本のメディア芸術100選アニメ部門選出
売上記録[]
(日本国内)
内容 | 記録 | 補足 |
---|---|---|
興行収入 | 194億円[38](英語版の日本興行分除く)。 | |
配給収入 | 約113億円[38](英語版の日本興行分除く) | |
動員 | 1420万人[38](英語版の日本興行分除く) | |
『イメージアルバム』 | 7万枚出荷(1996年発売のCD)[39]。 0.5万枚出荷(2004年発売の再発CD)[39] |
|
『サウンドトラック』 | 50万枚出荷(1997年発売のCD)[39] | |
『交響組曲』 | 8万枚出荷(1998年発売のCD)[39] | |
主題歌『もののけ姫』 | 60万枚出荷(1997年発売のシングルCD)[39] 0.5万枚出荷(2004年発売の再発シングルCD)[39] |
|
VHS(1998年6月発売) | 400万本出荷[37] | 2005年3月現在 |
DVD(2001年11月発売、本編+映像特典の3枚組) | 50万枚出荷[37] | 2005年3月現在 |
フィルムコミック | 180万部以上[40] | 4巻計 |
『THE ART OF The Princess MONONOKE もののけ姫』 |
10万部近く[40] | 定価2800円 |
補足[]
風景の原型[]
- シシ神の森
- 屋久島北部の渓谷、白谷雲水峡
製作事情[]
- これまで宮崎駿の監督した長編アニメは、おおよそ5万 - 7万枚ほどの作画枚数で製作されてきたが、本作では14万枚以上もの枚数が使用された。宮崎は「ジブリを使いつぶす」ほどの覚悟で桁外れの労力と物量を本作に投入したというが、以降の『千と千尋の神隠し』(約11.2万枚)や『ハウルの動く城』(約14.8万枚)、『崖の上のポニョ』(約17万枚)もほぼ同規模かそれ以上の枚数であり、スタジオジブリの製作体制そのものを刷新した。
- スタジオジブリ最後のセル画と絵の具を使った作品となった。この作品でもサンの顔に付いた血糊やデイダラボッチを3DCGで作った他画面の多重合成も行われ、製作スケジュールの追い込みでデジタル彩色も一部使用されていたが、以降のジブリ作品は線画をコンピュータに取り込み、デジタル彩色の手法を用いるフルデジタル処理で製作されるようになった。
- 男鹿和雄がアシタカが住むエミシの村を描くために1995年に白神山地の取材に訪れている。青森県の鰺ヶ沢町、津軽峠、天狗峠、一ツ森町などを写真を撮ったり絵を描いたりしながら歩き回り、その時のイメージを作品にちりばめている。
- もののけ姫の映像がほぼ完成したある日、鈴木敏夫プロデューサーのもとに宮崎駿が訪ねてきて「鈴木君、タイトル変えようと思うんだけど、『アシタカ聶記(せっき)』でいこう」ということになり話はそこで終了した。鈴木敏夫プロデューサーは直感的に「もののけ姫」というタイトルが気に入っていたので、テレビCMも「もののけ姫」のタイトルで強行して制作した。制作後、宮崎駿にタイトルが変わっていないことが気付かれてしまうが、特に問い詰めなかった[41]。
- 映画公開時のキャッチコピーは、糸井重里が考えた「生きろ。」。完成までには糸井と鈴木敏夫プロデューサーの間で激しいやり取りがあり、没になったコピー案は50本近くあった。主な候補に「おそろしいか、愛しいか。」「だいじなものは、ありますか。」「おまえは、まぶしい。」「昔々は、今の今。」「死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。」「死ぬなっ。」などがある[42]。
DVD[]
現在発売されているDVDには、日本語、英語、フランス語、広東語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語の8ヶ国語が収録されている。
関連書籍[]
- 司馬遼太郎・堀田善衛・宮崎駿 『時代の風音』 朝日文庫、1997年。ISBN 9784022641397。
- スタジオジブリ 『The art of The Princess Mononoke-もののけ姫 (Ghibli the art series)』 徳間書店、スタジオジブリ・カンパニー、1997年。ISBN 9784198100025。
- アニメージュ編集部 『もののけ姫-ロマンアルバム』 徳間書店、1997年。ISBN 9784197200269。
- 浦谷年良 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』 徳間書店、1998年。ISBN 4198609306。
- 宮崎駿 『もののけ姫-スタジオジブリ絵コンテ全集<11>』 徳間書店、スタジオジブリ事業本部、2002年。ISBN 9784198614751。
- 宮崎駿 『風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡』 ロッキング・オン、2002年。ISBN 9784860520076。
- 叶精二 『宮崎駿全書』 フィルムアート、2006年。ISBN 9784845906871。
その他の設定[]
テンプレート:独自研究 テンプレート:出典の明記
- 企画書には「室町期の日本の辺境」とあるものの、公式のアナウンスはない。叶精二によれば、室町時代の後期に照応する。蝦夷の老人から大和の王=天皇や将軍に力がない事が語られ、また方々で小規模な戦闘が行われているところから、かなり戦国期に近い時代、もしくは戦国期前期と思われる。兵農分離が進み合戦が大規模化する一方、身分が固定化した戦国後期のような状況にはなく、地侍、たたら衆等が各々独自に武装して争っている。
- シシ神の森
- 人間の手が入っていなかった太古の照葉樹林。
- もののけ
- 人の手の入らぬ森に対する人々の畏れ、そして物理的な自然の猛威を形にしたものと思われる。こうした森への畏れ、信仰は自然の森が日本から消滅していった時代、急速に失われていった。神殺しはそれを象徴的に描いたものと思われる。
- たたら場
- 山奥で木炭と砂鉄から鉄を作る製鉄集団。ある程度の自治権がある。作中のタタラ製鉄集団は森を切り拓き、森の獣たちと対立している。エボシに拾われた皮膚病患者が一部に隔離され、腐った肉を洗い包帯を巻いて貰う傍ら武器の開発を任されている。
- アカシシ
- エミシが飼育する架空の家畜。『シュナの旅』に登場した物は一般名詞として「ヤックル」が使われているが、こちらのヤックルはエミシの側の呼称か固有名詞かは不明である。叶精二は「赤獅子」とするが、シシは鹿など食肉用の獣を指す語である。
関連項目[]
テンプレート:出典の明記
風景の原型[]
- エミシの里
- 白神山地(世界遺産)青森県鰺ヶ沢町:西目屋村、秋田県藤里町
- シシ神の森
- 鳳来町(現新城市) - 谷や湖
- 綾町
- 木霊
タタラ場の原型[]
- 島根県安来市・雲南市・奥出雲町 - 出雲たたら製鉄の中心地。旧吉田村の「鉄の歴史博物館」、安来市の「和鋼博物館」の収蔵品。奥出雲町の「日刀保・菅谷たたら」は日本で現存操業している唯一のたたら。
- 加計隅屋鉄山
出典
登場人物の原型[]
- 島根県松江市関連
- シシ神 - 意宇の民話、八束水臣津野命が足を切られ大暴れしてしまう熊野大社(意宇六社)の建立にまつわる話。
- アシタカ - 名前と生と死の二面性は意宇六社を舞台とした神話に登場するアヂシキタカヒコネ。
- モロ - 島根県一帯に伝えられている犬神。
- 長野県富士見町 - 宮崎駿の別荘がある。乙事や烏帽子という地名があったり、付近ではヌメリイグチをジコボウと呼んだりと、関係が深い。
- カヤ - 名前は草のカヤ。小刀の様に切っ先の鋭いカヤは魔除けとして日本各地で信仰されている。
- ダイダラボッチ - ディダラボッチ、デイダラボッチ。
その他[]
- アテルイ - 平安時代初期にヤマトの支配に抵抗した蝦夷の指導者。宮崎駿によれば、アシタカはアテルイの部族の末裔の設定とされる。サンはモレの説もある。
- 蝦夷 笹沢魯羊『宇曽利百話』によれば、十七世紀の津軽に、アシタカという酋長に率いられた蝦夷の一族がいた。
- 俘囚
- 別所
- 蕨手刀
- 夜刀神 (やとのかみ)
- 映像の世紀(NHKスペシャル)
- チベット死者の書
- 網野善彦『無縁・公界・楽』における、鍛冶業その他職人は、昔ある程度の自治権を持った「国」のようなものであったとする説や、『異形の王権』で語られる「民衆を解放する天皇」は、タタラ場や、被差別民ジバシリを保護する天朝の出る本作以外にも、『風の谷のナウシカ』での「特殊被差別民である蟲使いを使うトルメキア人」等に影響を与えている。
出典[]
- ↑ なお、照葉樹林文化論は1970年代に一世を風靡し、稲作以外の日本の農耕文化への関心の高まりに結びついたが、有力な反論も多く出ており、現在の学会では必ずしも広く支持されているとはいえない。詳細は照葉樹林文化論を参照。
- ↑ 浦谷年良 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』 徳間書店、1998年。ISBN 4198609306。
- ↑ 叶精二. "「もののけ姫」を読み解く-3,室町時代の民衆像". 高畑勲・宮崎駿作品研究所. 2011-09-07 閲覧。
- ↑ 網野善彦 『「忘れられた日本人」を読む』 岩波書店、2003年。ISBN 4198609306。
- ↑ 5.0 5.1 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、53-54頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、52-53頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、49-50頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、45-46頁。
- ↑ 9.0 9.1 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、76-77頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、42-43頁。
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、315-316頁。
- ↑ 12.0 12.1 宮崎駿 『もののけ姫-スタジオジブリ絵コンテ全集<11>』 徳間書店、スタジオジブリ事業本部、2002年。ISBN 9784198614751。
- ↑ 13.0 13.1 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、354頁。
- ↑ 映画パンフレット。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、209-210頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、52頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、362頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、364-365頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、356頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、352頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、347頁。
- ↑ 22.0 22.1 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、366-368頁。
- ↑ 宮崎駿 『風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡』 ロッキング・オン、2002年。ISBN 9784860520076。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、387-388頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、393頁。
- ↑ 26.0 26.1 26.2 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、94-95頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、269頁、272頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、293-294頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、389頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、396-397頁。
- ↑ 叶精二. "「もののけ姫」を読み解く-1,照葉樹林文化,宮崎作品に見る照葉樹林文化の思想". 高畑勲・宮崎駿作品研究所. 2010-11-25 閲覧。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、352-353頁。
- ↑ 33.0 33.1 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、275-278頁。
- ↑ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、27-28頁。
- ↑ テンプレート:Cite interview
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 37.0 37.1 37.2 37.3 37.4 叶精二 『宮崎駿全書』 フィルムアート、2006年。ISBN 9784845906871。
- ↑ 38.0 38.1 38.2 叶精二 『宮崎駿全書』 フィルムアート、2006年。ISBN 9784845906871。
- ↑ 39.0 39.1 39.2 39.3 39.4 39.5 叶精二 『宮崎駿全書』 フィルムアート、2006年。ISBN 9784845906871。
- ↑ 40.0 40.1 テンプレート:Wayback
- ↑ テンプレート:Cite video
- ↑ テンプレート:Cite video
外部リンク[]
- "「もののけ姫」制作日誌". スタジオジブリ. 2006-4-17 閲覧。
- 叶精二. "「もののけ姫」を読み解く". 高畑勲・宮崎駿作品研究所. 2006-4-17 閲覧。
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テンプレート:宮崎駿 テンプレート:オリコン年間ビデオ総合チャート第1位 テンプレート:日本アカデミー賞最優秀作品賞 テンプレート:毎日映画コンクール日本映画大賞